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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

ありたき事は、まことしき文の道

2018-10-16 23:10:14 | 文学


昨日『吉原徒然草』というのを少し読んだが、いまのところあまり面白くなってこないので、わたくしも普段からあまりふざけている場合ではないなと思って反省した。第百三十二段「まづしき者は財を持て」など、貧乏年寄りを馬鹿にしていていやだねえ、と思った。パロディの本性からして、案外説教くさくなるのも当然なのであるが、面白く説教するのはなかなかに難しいものである。

それはともかく、元の「徒然草」にしてからが、なんとも時々「うるせえ」といいたくなる。

ありたき事は、まことしき文の道、作文・和歌・管絃の道。また、有職に公事の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など拙からず走り書き、声をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ、男はよけれ。

「手など拙からず走り書き、声をかしくて拍子とり、いたましうするものから、下戸ならぬこそ、男はよけれ」とか、学生の飲み会サークルにいそうなキャラクターではないか。そろそろわたくしも真面目に勉強することにしよう……