★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「闘いの真実」の上演

2018-10-11 23:40:27 | 映画


近くの映画館で「1987、ある闘いの真実」を観てきた。韓国映画である。

われわれは忘れがちであるが、韓国はついこの前まで軍政であって、民主化運動は軍事政権と戦わなくてはならなかった。学生時代、韓国人の知り合いには徴兵制度や、全斗煥時代の話を良く聞いたが、こちらは韓国の歴史を殆ど何も知らずにそれを聞いているのであまり実感がなかった。体感であるが、われわれ以降の世代の中国や韓国の歴史に対する無知はちょっとひどい。これでグローバリズムも何もあったもんじゃないし、まず戦争責任やらの問題を積み残している(というより、この問題はどこの国でも消える事は絶対にない。そういうもんなのである。)くせに、あまりに関係国の事を忘却しすぎなのである。これではさすがに現実的にまずいのではないか。

今回の映画は、1987年の民主化運動(というより革命的騒乱)を描いたもので、この前やってた光州事件のタクシーの運転手の主人公映画(題名忘却)の続編みたいに観ると面白いのでなかろうか。全斗煥時代の一人のソウル大生の拷問死が引き起こした運動が話の中心だが、当時韓国は完全な統制報道なので、拷問死が報道される事自体に大変な困難を伴うのである。だから、検死をした医者、手続きに執心する検事や、兄弟を学生運動でなくした看守、教会の神父や寺院の僧に至るまで、自分の権限を逆手にとったりしながら、徐々に世間に真実を流出させてゆく。面白いのは、彼らが殆ど法に触れずに自分の仕事をきちんとしながらぎりぎりのことをやっているということである。故に逆に権力の側は、不法な手法に手を染め続けるしかなくなって行く。日本ではおそらく、こんな権力の統制も効いていないが自分の仕事を厳格にやるわけでもないので、なんとなく不正がだらだらと社会全体を環流し続けていることになるわけだ。

この映画を締めているのは、反共部隊のリーダーである男(パク所長)である。彼は脱北者で、共産主義政権に家族を虐殺された過去を持つ鬼のような愛国者である。彼も彼の職責を完璧に果たす。日本の自称右がだめなのは、こういう雰囲気がみじんもないところだ。

韓国映画をそんなに観ているわけではないが、デモのシーンなどを描かせるとすごくいつもうまい。シーン自体もうまいが、そこに持って行く盛り上げ方がうまい。今回も――、最初は、パク所長とチェ検事の一騎打ちという感じで、ほとんど暗黒小説の趣である。実にマッチョで男臭く気取っているのである。民主化のリーダー(キム・ジョムナム)を守ろうとする男はださくても男気のあるタイプであるし、メディアの連中も一昔前の日本の新聞記者みたいな描かれ方で、「最高の絵を撮ってこい。撮るか死ぬかだ」みたいなノリなのだ。――確かにここまでは面白いけれども制度内での膠着状態が感じられる。しかしながら、中盤以降、八〇年代のファッションを身にまとった(ここは日本の流行と同じ感じだから妙なリアリティがあるが)大学生の男女が登場し、最後のトリガーをひくことになる訳である。女の子の方は、キム・ジョムナムに手紙を運搬したりと影では大活躍しているのであるが、運動に主体的に参加しているわけではなかった。しかし、男子学生が催涙弾で死んだ報道をみた女の子が悲しみのあまり走り続け、ついにデモ隊の中心に加わるところでクライマックスがくる。最後のデモのシーンは、まるでミュージカル映画「レ・ミゼラブル」の最後みたいでドラマチックすぎると思えた(と同時に、1987年の騒乱自らが何を見出しているのかが明らかである)が、いずれにせよ、最後の女の子の駆けてゆく感じがすごくデモの高揚感に非人間的なスピードと人間的な感情をあたえている。

と、かように解すると堅いのであるが、――あからさまに言えば、この女の子に、今売り出し中の「キム・テリ」というびっくりするほどの美少女を使っているので、あざとさを感じる暇もないっ

この映画は、ほぼ史実を描いているようなのだが、パンフレットの監督のインタビューによると、この事件にふれることはかなりタブー化されていたようだ。なぜだろう。日本では、最近1968ものみたいな本が寧ろ流行している気がするくらい、――やっぱり彼らは墓にまでもってくつもりはなかった、という感じであるが――。それはともかく、現実にはいろいろ語りにくい様々な事情があるのであろう。だから、この映画も当時の分析というよりも、現在の〈希望みたいなもの〉の表現なのだろうと思う。案外、日本と同様、真実を明らかにするということが民主主義の肝であることが忘れ去られ、表面の政治的対立のなかで情報操作に明け暮れるていたらくになっているのではなかろうか。そして、韓国も日本も、三十年、四十年前の動乱を再現する条件はいろいろな意味で失われつつある。むろん、韓国と日本の違いは大きいが、やはり似たところに困難があることも忘れるべきでないような気がするのであった。