★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

汝が云ふ所実に愚かなり

2018-10-15 23:37:46 | 文学


最近は、思想を、世の中の「全体性」に対する、論者の感覚的な馴致の度合いと不可分な形で考える傾向が強くなっているような気がするが、――常識の問題として、それはロマン主義的に、いやナルシスティックになるものでもあろう。大衆やモノたちの味方のふりをしようとも、結局は「イイネ」ぐらいの認識に墜落しているものだ。本人はまだ孤立しているつもりでいるのだから笑わせる。

『宇治拾遺物語』の最終話は、よく知られているように「盗跖孔子に与ふる問答の事」というリアルな話である。

柳下恵は尊敬された人らしいけれども、弟は名の知られた盗跖という悪党であった。どうしようもないワルであったが、よくある一匹狼(その実、はぐれただけの狼)ではなく、何千人のもの仲間を引き連れていたという。孔子があるとき、兄貴に「どうしてやつをほおっておくのですか」と聞くと「だって、人の話なんかきかんでしょ、やつは」と答えた。人にウンと頷かせることに世界一の快感を覚えていた孔子は、「わたくしがやつを説得するぜ」と出かけていった。しかし、孔子は一生に一度の動揺を覚えながら逃げ帰ってくることになる。

孔子を出迎えた盗跖は

頭の髪は上ざまにして乱れたる事蓬の如し、目大きにして見廻転す、鼻を吹きいからかし牙を噛み髭をそらして居たり

であって、ほぼ人間ではなく人獣だった。このお方が

昔尭舜と申す二人の帝世に尊まれ給ひき、然れどもその子孫世に針さすばかりの所を領らず、また世に賢き人は伯夷叔齊なり、首陽山に臥せりて飢ゑ死にき、またそこの弟子に顔回といふ者ありき、賢く教へ奉りしかども不幸にして命短し、また同じき弟子にて子路といふ者ありき、衛の門にして殺されき、然かあれば賢き輩は遂に賢き事もなし、また悪しき事を好めど災ひ身に来らず、誉めらるるもの四五日に過ぎず、謗らるるものまた四五日に過ぎず、悪しき事も善き事も長く誉められ長く謗られず、然かれば我が好みに随ひて振舞ふべきなり、汝また木を折りて冠にし皮を持ちて衣とし世をおそり公におぢ奉るも二たび魯に遷され跡を衛にけづらる、など賢からぬ、汝が云ふ所実に愚かなり

と捲し立てたのだから迫力がある。この人獣、決してバカではなく、孔子に言い負かされるいつもの平凡な君主達より単純に学があったのではなかろうか。むかし一応勉強のために『論語』も読んでみたがよくわからないことも多かった。そもそも表面的な意味の分からない部分もあった。だから、上の挿話を読んで孔子の言っていることは所詮、君子向けの徳治主義のきれい事だった、といった判断をしたいわけではない。しかし、いつの世でも、上の人獣のようなせりふが勝利することも真理なのである。理念は常に負ける運命にある。いつも勝利するのはプロレタリアートでも資本家でも盗賊みたいなやつで、彼らには生命力と知性がある。そもそも孔子やキリストは煉瓦の焼き方や道路工事の方法を編み出しておらず(シランけど)、ため池を作りまくったお大師の方が「世の中の役に立」っていたわけである。かえって、思想は95%の世の中の生成を助けないかもしれない。しかし、あとの5%と、生成のあとの崩壊過程で破滅から人々を救うのが……思想で、あったらいいけどね……。思想はいつも破滅一歩手前で生命を得る。そうして、シンパを従えるとすぐに滅び、言葉だけが、次の機会を狙って、長い眠りにつく。

私は、生きていることが思想だとかいう境地には達したくないのである。どうせ間違っているような気がするからだ。いまは特に危険なご時世だ。大衆のことを忘れずにいようと試みているうちに自分がそもそも大衆であることを忘れてしまうような気がする。この場合、大衆を馬鹿と言い換えてみると異様に分かりやすい気がするにもかかわらず、そこは断然、大衆でなければならない。馬鹿は馬鹿という同定なんか簡単なことであるが、そこでの自己満足を避けるために大衆の概念は必要だったのである。