仏生山。「船山神社」の東、田園地帯にある。ザ・農村の神社というかんじである。田んぼの真ん中にもっこり林があったら大概神社で、ここもそうなのだ。が、ここは三宝荒神でも稲荷でも八幡でもなく、「祇園宮」である。
拝殿
本殿あたり
拝殿の右側にはちゃんと由緒の説明が書いてあった。
祇園さん 八坂神社
祭神 素戔嗚尊
鳥居の額には「祗園宮」と刻まれ、灯籠には「祗園宮宝前 天保十二年 壬牛 六月吉祥日」の字が見える。
香川県神社史を見ると、大字百相字祗園宮八坂神社のあることが記され、このお社は舟山神社の境外末社。祭日は、旧七月七日から十四日までとなっている。
「香川県神社誌」には確かにそう書いてあった。
神社史の社名と土地の呼び名がちがうのは、ちょっと意外なようであるが、実は祇園さんというのは、八坂神社のことである。
八坂神社は、京都市東山区祗園に祀られた神社で、祭神は「すさのおうのみこと」「くしなだひめのみこと」とその御子八柱の神で全国の祇園さん信仰の中心であり明治四年までは祗園さんと呼ばれていたのである。
ここに八坂神社をおまつりするようになったのは、いつの頃か全くわからないが、境内の風化した石塔(燈籠かもわからない)の頭部の状態などから察してずい分古くからここにまつられたであろうことが想像される。
これですかな……
祭神「すさのおうのみこと」は天照大神の弟さまで「天の岩戸物語」「やまたのおろち退治」などよく知られている。人文神、英雄神、あらしの神、人間*を授ける神、作物の神としてまつられるのである。
また「くしなだひめのみこと」は「やまたのおろち」にのまれるところを「すさのおうのみこと」に助けられその妃となった方である。
素戔嗚尊は乱暴者の希望の星で、どんなにやんちゃ(←この言葉大嫌い。教育界からこの言葉をなくしたら少しいろいろと改善されそうな気がしないではない)な阿呆でも、役に立つことがあるということを証明している。か、どうかは分からないが、そういうことになっている。たぶん、まだ少女だったくしなだひめは下品な素戔嗚尊に手を焼いたことであろう。そんなしょっちゅうヤマタノオロチは出てこないが、出てきた時の態度をいつも取りたがるのがこういう輩の特徴だ。とはいえ、不思議なもので、彼はなんだか洒落みたいな歌の発明までやってみせた。
雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
はいはい、力持ちはいいですね~。これもどうせ素戔嗚尊の歌じゃないのであろうが、そういうことになっている。思うに、我々はもっと平時に役に立っている人材を褒めなくちゃならない。そうでないと、思想のないところまで思想が見えてきてしまうからである。