★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

いくたびちりき

2018-09-25 23:46:32 | 文学


「樵夫の小童隠題の歌詠む事」(『宇治拾遺物語』)は、素人を馬鹿にしてはならぬ教訓で有名だが、教訓も何も、素人でも巧いことよめばもう素人とは言えない。

「今は昔隠題をいみじく興ぜさせ給ひける御門の篳篥を詠ませられけるに……」という始まりだから、どうみても「御門」が悪い。隠題に執着しているという点からそもそも素人臭さを感じる。というのは、わたくしが素人だからで、もしかしたらこの「御門」は良い趣味しているのかもしれない。が、そんなことはどうでもよく、その樵が詠んだ歌であるが、こういうものであった。

めぐり来る春々毎に桜花いくたびちりき人に問はばや


確かに篳篥をうまいこと埋め込んでいるわけであるが、春の度に何回散ったかと言われてもですね、当の桜ですら「知るかっ」であろう。

今日、外山恒一の『全共闘以後』が届いたのであるが、これを読み始めたら勉学に支障が出そうなので、書棚に並べた。こういう本は、なんかカツカレーという感じで、もはやわたくしにとっては体に悪い。そう思うことにしたい。わたくしも最近、素人の心を忘れがちだから、つい一生懸命読んでしまいそうであり、気をつけなければならない。それにしても、落合陽一ほかの『脱近代宣言』の帯のエヴァンゲリオン風のあれは何?それに、なぜにピンクの本だし……。宮台真司の恋愛指南みたいな本もピンクだったな。わたくしはこんな境地には至れそうもない。たぶん、すごい人たちは、悟るとピンクみたいな境地に達するに違いない。素人はこうはいかん。