今日は、元のソンソン町を回って見ましょう。
フレミングホテルを出ると、すぐ道路工事現場になります。
町の中はいたるところ大規模な道路工事が行われていて、車で走るのが大変でした。
噂だと思いますが、「この工事費は日本が負担している」と聞きました。
沖縄からグアムに移転する米軍の駐留基地が一部テニアンになるので、そのための工事ではないかとの噂です。
日本から、建設 . . . 本文を読む
白爺たちには、テニアン滞在に際しては先ずカロリナスのバンザイ岬に出向き、玉砕で亡くなられた方々のご冥福と日本国の平和をお願いする慣わしになっています。
今回も、到着した翌日にはカロリナスに行き、慰霊碑に祈願をしてきました。
岬に建つ沢山の慰霊碑からは、「よく来てくれた」と喜んでくれている声無き声が聞こえて来るのですが、白爺の思い過ごしでしょうか?
この絶壁を . . . 本文を読む
白爺は、昨年の6月から半年振りに故郷に帰りました。
日本人のスタッフは現在一人もいませんが、名鉄フレミングホテルのバスだけは、昔のままの姿で待っていてくれました。
私達の部屋は、ホテル公認の101号室です。
入室したら、使い易いように家具を移動させて、早速我が家?を作ってしまいました。
ホテルから湯沸し用のボトルを借りて、滞在中は自由にお湯が使えるようにしたし、16 . . . 本文を読む
白爺は、1月7日にテニアン島に渡りましたが、昨日2月3日に無事日本に帰ってきました。
2009年の初日の出は、日本本土で迎えましたが、旧正月の日の出は、テニアン島のロングビーチで、魚釣りをしながら迎えました。
そして節分の豆まきは、少し早かったのですが、ありどんさんが お江戸日本橋から持参してくれた福豆を、カーヒー神社の神殿跡にお供えして豆まきをしてきました。
掛け声は . . . 本文を読む
1gatu 7niti kara TINIAN ni kiteimasu.
TINIAN wa atatakakute NHK nyusu wo mite samui TOKYO wo omotteimasu.
turi nimo 3jihan ni okite ikimasuga emii wa 50cm no fuefukidai wo turi mashita.
kaettara syash . . . 本文を読む
幾年 故郷来てみれば・・
アメリカのLST艦でテニアンを引き揚げたEmiiが、再びテニアンに戻り、自分が生まれた家の跡に立つまでの間には、約30年の年月が流れていました。
30年ぶりに来てみると、家跡は当時のテニアン市長ボロアさんのファミリーが所有する屋敷に変わっていました。
縁は異なもの!と言いますが、ボロアさんは前の年に慰霊ツアーでお付き合いを始めた . . . 本文を読む
白爺は、日本に強制引き上げさせられてから30年後、故郷テニアン島に帰郷しました。
表紙の写真は、その時テニアン島の上空から、涙を流しつつ写した写真です。
人間は、感無量になると自然に涙が出てくるようです。
引揚当時は外海だった場所に、大きな桟橋が造られているのでビックリしました。
この桟橋に、広島・長崎へ投下された原爆が、陸揚げされたのだそうです。
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古いアルバムを整理していたら、終戦後に白爺が最初に見たテニアンの写真が貼ってありました。
同じ頃にサイパン空港に直行便が就航したそうで、浜美枝さんが記念搭乗してサイパン空港に降り立つ写真もありました。
今日は、この写真をスキャンしてお知らせしましょう。
最初はブロードウェーの様子です。
現在の写真と見比べてみてください。建物も並木もない殺風景な景色ですねー。
車も殆ど走っていな . . . 本文を読む
白爺たちを、優しく迎えてくれた、フレミングホテルのワンちゃんです。
今回の旅行も滞在期日が迫ってきました。
最後のページに、今回の旅行中に記録してきた果物などをご紹介しましょう。
(ご存知の方は沢山いると思います。忙しい方は閉じてください。)
私達がテニアンにいたときは「シャシャップ」と言っていましたが、最近の人は「サワシャップ」とか言っている果物です。
白爺は、食べ易く甘酸っぱい . . . 本文を読む
下の写真の手前の入り江が、白爺たちの釣りホームグランドでした。
しかし、現在のテニアン島は、裏海岸以外は魚釣りを禁止されてしまい、近い釣り場には「魚釣り禁止」の看板が立てられてしまいました。
リサマさんと、大きなカスミ鯵を釣ったタチョンガビーチは、「小鯵獲りの投網はOK・大きな魚は釣ってはダメ」の矛盾した通達が出ているので、何のための規制なのかと白爺は首を傾げてし . . . 本文を読む
白爺たちは、今回のテニアン滞在中に、結婚式に二回参加してきました。
二回目に参加した結婚式は、ホーンさんの娘Eさんと、白爺たちがアギーガンの夜釣りで漂流騒ぎをしたときのキャプテンです。
この教会で、結婚式は行われました。
白爺たちはこの教会で行われた行事に、何回参加したでしょう?
クリスマスのミサ・新年のミサ・結婚式・銀婚式・金婚式、数えたら限があり . . . 本文を読む
嘗て、テニアン島を守備していた、日本海軍56警備隊に所属して玉砕をテニアン島で迎えられた、鳥取県在住のIさんが、慰霊のためにテニアンへ来られました。
今までも、何回となく慰霊のためにテニアン島へは来られていたようで、michiiさんとも顔馴染みだそうです。
今回はご家族同伴で来られていました。
56警備隊については、ネットの資料によりますと、 . . . 本文を読む
テニアンに滞在中に、タガビーチで「トライアスロン」が開かれました。
競技のメイン会場は、このタガビーチです。
ご存知の方には失礼ですが、タガビーチの名前の謂れは、この磯で町の中にあるタガハウスの巨大な石が切り出されたためで、切り取った跡は写真のように現存しています。
ここからどうして町中まで運んだのかという疑問は、今回は考えないことにしましょう。
. . . 本文を読む
Michiiさんの案内で、昔のテニアン神社裏の丘陵ジャングル内にある、日本海軍56警備隊野戦病院跡洞窟を探検に行ってきました。
車はテニアン墓地の近くの広場に駐車して、タガンタガンジャングルの中に入りました。
少し入るとタガンタガンの木や下草が少なくなり、昔のジャングルを思い出す岩坂になりました。
岩坂には小さな洞穴が沢山あるようです。
白爺が空襲の時に隠れた洞穴も、 . . . 本文を読む
今回は、ラッキーでした。
テニアン滞在中に、Fさんと会うことが出来たのです。
早速ホーンさんの車に乗り、一緒に島内の観光に出かけました。
先ず向かったのは、カロリナスの住吉神社です。
誰かに壊されていた神殿も、復元はされていないが片付けられていました。
神社の参拝を済ませた一行は、マルポに向かいました。
上の写真は、Emiiが生まれた場所です。
今は、チャムロのボロ . . . 本文を読む