《試練》――現在史研究のために

日本の新左翼運動をどう総括するのか、今後の方向をどう定めるのか

連合赤軍によるリンチ殺人事件を思い浮かべた

2015-11-06 21:32:03 | 書評:『革共同政治局の敗北』
連合赤軍によるリンチ殺人事件を思い浮かべた

ブログ:遺されたもの(2015年5月27日)
「労働者階級解放闘争同盟」という1960年代前半に活動していた新左翼党派とその周辺の紹介をしています。
「革共同政治局の敗北 あるいは中核派の崩壊」(水谷保孝 岸宏一)の感想
http://blog.livedoor.jp/kanagakurin/archives/44202636.html

※管理者コメント:勝手ながらタイトル二つは管理者がつけましたことをお断りします。また【 】内は管理者の註です。

 Amazonで予約したにもかかわらず、発売日には「ないから発送できません」(意訳)メールが届き、ネット情報では増刷は来月だとのことでこりゃしばらく待たされるな~と思っていたところにいきなり届いたので読んでみました。

 ざっと読んで感じたのが文調への違和感。これはおそらく事実を政治を通して記述しているせいじゃないかと思われました。つまり、この本が本来読者として対象としているのは中核派に関わっている、いた人、あるいは他の政治組織に関わっている、いた人なんだろうなあと。そういう人々は、この本の文章に対して、程度の多少はあれ共感や反感といった感情をもって身近に感じられるのかなあ、と。

 そうはいっても、記述されている事実はどれも衝撃的でした。組織という狭い世界の中で繰り広げられている、いた暴力をはじめとする理不尽、これらの事実を読んでまず思い浮かべたのが連合赤軍による山岳におけるリンチ殺人事件でした。

 2006年3月に与田氏への反乱のいわばあおりを食って一方的に暴力を振るわれた遠山氏の、その場にいながらなんら暴力行為を止めることなく逃亡した天田氏に対する悲痛な叫び、
「腐り果てたのは俺か、お前か!」(p84)【第2章第2節「政治局の分裂と左派の危機」 西島と遠山を断罪する根拠なし】
 この部分を読んだとき思い出されたのが、森恒夫による「指導」という名の暴力の最中に出た進藤隆三郎の言葉、
「こんなことが本当に革命に必要なのか。」
 どちらも、作為不作為の違いはあれ、なんらそれを受ける理由がないのに組織のトップに暴力という理不尽を強いられ、その後も報われずに終るという点で似ていると思いました。

 さらには、杉並区の2議員を辞職させようとして、その根拠に民営化への賛成を主張したところ、他の所属議員も同様に民営化に賛成しているとの指摘に対して出たある意味衝撃的な反論、
「民営化に賛成しても同志だからいいのだ」(p134)【第3章第1節「杉並二区議に即時辞職を強要」 結柴・新城除名を策動するも頓挫】
 だったら杉並区議も同志なんだから辞職必要ないじゃんと、論理もへったくれもないとはまさにこのことだなと、この部分を読んだときに思い出したのが、単に指導部の言う通りに車を運転しなかったというだけで殴る蹴るの暴行を受けて縛り上げられていた山本順一の言葉、
「指導部の方が論理矛盾している。」
 さらに思い出したのが、刑法学でそこそこ有名なとある学者の著書の一節、
「結論の妥当性は論理的整合性に優先しなければならない。」
 なんというか、要はお前は敵だからダメ、あいつは味方だからいい、ということですよね。この場にもし私がいたとして、当事者だったら絶望を、第三者だったら諦観を、感じることでしょう。論理が通用しない人に対しては、対処のしようがないでしょうから。

 このような理不尽がまかり通るあり方について、中核派というか政治組織にはつきものなんでしょうか?党内民主主義という言葉の意味やその具体的な適用がどのようなものかについて私は偉そうなことは言えませんが、少なくとも中核派におけるそれについては、今井公雄さんがどこかで批判してませんでしたっけ?

 他に心に留まったのは、陶山健一さんについて書かれた箇所(p354~355)。【第9章第3節「非公然政治局体制の破局」 不運の陶山健一を切り捨てた清水】陶山さんについては、労闘同について調べる過程で名前が出て来たのでいろいろ文章を読みましたが、ほとんどその人柄を悪く書く人がいなかったことが印象的でした。この本の作者もしかり、尊敬と驚嘆という言葉で表現しておられます。
 陶山さんが労闘同合流にどの程度関わったのかはわかりませんが、もしかしたらその人柄が影響を与えたことがあったのかもしれません。そんな方が、非公然時代に病身の身を党から何の援助も受けられず放置されていたとのこと。清水さんの意図があったかどうかは知りませんが、党に貢献してきた方を遇するには足りないどころではないでしょう。

 あと、労闘同について、少ないですが記述がありました(p19)。なんと、合流の事実だけではなく、その政治的意義づけまでなされています。ここまで突っ込んだ評価は私の知る限りでは初めてです。別に私が属していたわけではないですが、なんとなく嬉しいですね。

 以上、雑多で拙いものですが、感想でした。

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閉ざされた集団が攻撃を内部に向ける構図

ブログ:遺されたもの(2015年6月13日)
「赤い旗手」第1号~3号の原本のPDFの試験アップと雑感を少々
http://blog.livedoor.jp/kanagakurin/archives/44415078.html

 今回、「赤い旗手」第1号~3号の原本からとったPDFを試験的にアップしてみました。
 書き込みや落書きは消去しておりません、面倒なので。
 正確には原本をいったんコピーしてそのコピーをPDF化したものなのですが。なぜこのようなまわりくどいことをするかというと、私の所有しているスキャナーがいわゆるコピー機タイプのものではなく、吸い込むタイプのものでして、半世紀経ってボロボロになりかけた原本をそのままスキャンした場合、高確率で原本を破損することが予想されたからです。
 また、現在使用しているライブドアブログの仕様から、1ファイル10メガ以内という制限上、画質は悪いです。「赤い旗手」の表紙は赤いインクが使われていますが、アップしたPDFでは白黒です。ただ、使用しているスキャナーで最低画質でスキャンしても10メガを超えるものがあるため、このままライブドアブログのサービスを利用するために容量のさらなる削減に挑むか、あるいは外部のサービスを利用するかはこれから考えます。外部サービスでお勧めのものがありましたらお知らせくださると助かります。

 最近、「革共同政治局の敗北」本の出版で活況を帯びてきたマル共連のBBSが突然接続できなくなりました。
 このご時世、ネット上であまり書き込まれるべきではない言辞が散見されていたからか、あるいは中核派ネット部隊(あるのか?)の暗躍かと思っていましたが、単に掲示板サービス自体の終了であったそうです。(@BBSのお知らせ)
 この掲示板には、すえいどんさんをはじめ、様々な方が貴重な情報を提供していただきまして、大変助かりました。ここで改めて、お礼申し上げます。ありがとうございました。
 望むべくは、同様の掲示板がまた復活すると嬉しいのですが。

 「革共同政治局の敗北」本に対する中核派の声明に対し、著者である水谷・岸両氏による声明が最近「現代革命論争資料蒐集」にアップされました。これを読むと、中核派の声明がどのような過程を経てその内容になったかが記されています。これが真実であるとすると、現中核派の内部に水谷・岸両氏に情報を流している方がいるということになりますから、中核派内部は疑心暗鬼になっているのではないかと思われます。スパイいぶりだしとか暴力事件とかにならないことを祈ります。連合赤軍事件で殺害された加藤能敬の、
「人民内部の矛盾を暴力で解決するのは間違い」
という言葉が、「革共同政治局の敗北」本の内容とあいまって、思い出されました。
 閉ざされた集団がその外部への攻撃性を押し込められた結果、その攻撃の矛先が内部に向かうという構図は、結果の重大さ等程度の差こそあれ、連合赤軍固有のものではなく、また左翼組織固有のものでもなく、広く人間が作る集団に見られる特徴であると思います。この点、「革共同政治局の敗北」本の著者は、事件当時の本多書記長の見解、「組織内のテロ・リンチはやってはならない」を紹介しつつも、党としての事件の総括としては不充分であったとしています(p423~)【第11章第3節「連合赤軍事件の外在化の誤り」】。本を通して読んで察するに、おそらく故本多氏の信奉者であろう著者としては、相当突っ込んだ叙述だなと驚きました。

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