石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

植垣康博さんのこと

2007-10-21 00:27:59 | 雑談
某誌の「刑務所特集」で、気が滅入るインタビューを続けた。その、テープ起こしはチト辛いものがあった。元々オラは閉所恐怖症がある。懲罰房の話など、身につまされてダメ。

 救いは、連合赤軍のネアカ兵士・植垣康博さん。入所が23歳、出所が50歳、実に27年間の拘禁生活だった。

 出所して生涯独身のつもりだったのに、なんと、2年前に結婚、子供も生まれた。

 新郎56歳、新婦23歳。役所に届けに行くと、偽装結婚を疑われた。相手は朝鮮系の中国人だったから。

 結婚して何が一番変わりましたか? 

 「外国との関係が、観念的から具体的なものになりました。見方によっては、僕の活動の範囲が広がったということです。中国、朝鮮と橋ができたのですから」

 「そして、子供ができて、次の世代にちゃんと伝えなければならない。『兵士たちの連合赤軍』の続編を書かねばならない。今までは不特定多数相手だったけど、それじゃ済まない。『ハイさようなら』であの世に行けなくなっちゃった」

さあ、ビリヤードをしよう

2007-10-20 22:00:24 | 社会
上京して新橋で携帯が鳴る。中曽根内閣の広報官だった宮脇磊介氏から、「今、宮中にいて、これから美智子妃の誕生祝賀会に出席する」とのこと。『別冊・宝島』小生の宮脇インタビュー記事が氏の周囲で評判とのこと。

 1時半から麻布台でPOW研究会。アメリカ人で、祖父が日本軍の捕虜になった滝沢カレンさんと、叔父がサイパンで捕虜になった滝沢謙三さんの講演会。

 お二人は、それぞれ祖父と叔父が捕虜になり、それが縁で結婚するに至ったという運命的な人生を歩んでいる。

 オラが一番強く感銘を受けたのは、フィリピンで日本軍に捕まり、飢えと殴打のひどい目にあいながら、「憎しみは伝えず、体験は伝える」というカレンさんの祖父、スミスさんの姿勢だ。

 孫娘のカレンさんが婚約者を連れて「この日本人と結婚する」と報告に来たとき、何ら反対せず、「さあ、こっちへ来いよ、一緒にビリヤードをしよう」と日本人の若者を家に招き入れたスミスさんの広い心だ。

 終わって近くの居酒屋で懇親会。

インタビューのスリル

2007-10-19 22:06:27 | 社会
 ただ、力むだけ、桝添「ゴミ大臣」の最近の失速ぶりはひどいなー。「やります、しっかりやりますよ」。インタビューは、ひたすら言葉の上滑り。

 NHK・BSで、「アクターズ・スタジオ・インタビュー」200回記念を見る。ゲストはダスティン・ホフマン。オラが愛してやまない映画「真夜中のカウボーイ」の撮影エピソードなど興味尽きない。

 インタビューによって、人間が析出される。言葉が真剣に、ドラマティックにやりとりされるスリル。いいものを見せてもらった。ジェームス・リプトンという人の企画・プロデュース・インタビューの職人芸に脱帽だ。

「山田厚史さんを支援する会」のサイトに、オラの裁判レポートが掲載された。当日の写真も添えられて様子がよくわかる。

http://www.team-aaa.jp/report/trial003.html 

 

ゴムひもから見える社会

2007-10-18 17:07:06 | 社会
戦後、劣化したものにパンツのゴムひもがある。適当な太さと張りのゴムひもを手に入れることが、そう簡単じゃない時世でもある。

その背景には、パンツであれパジャマであれ、駄目になったら新しいゴムひもと交換する手間を嫌い、本体を買い換えてしまえ、という風潮がある。「もったいない、捨てずに長く使おう」という志向なしに商品がプロダクトされている。
  
 だから、誕生日に妻が取り替えてくれたパジャマのゴムひもは、オラにとって特別なプレゼントであった。肌触りが気に入っていたパジャマ本体の買い替えを選ばず、あくまで「ゴムひも」の交換にこだわった。

 「こんにちわー、歯ブラシ、ゴムひもは要りませんかー?」。ゴムひもは、むかし、制服制帽の大学生が一軒一軒の家を訪ね、売り歩く暮らしの必需品だった。彼らは「苦学生」と呼ばれていた。

 その頃は、長い戦争が終わって、社会全体に復興と希望の気運があった。苦学生には「ネットカフェ難民」の暗さはなかった。今の「格差社会」には、希望がない。

 たぶん、ゴムひもを換えてしのぐ「のりしろ」が社会全体から失われ、ゴムのないパンツで凌ぐか、新品を買うかに「格差」が明確になったのである。

 ゴムひもが劣化したのではなく、劣化を続けているのは「ゴムひもなどどうでもいい」という社会である。

秋の夜や65歳のシガーかな

2007-10-17 23:39:27 | 雑談
15日、名古屋の取材の後、静岡に向かう。市役所裏通りにあるスナック「バロン」は、元連合赤軍の兵士で、27年間も獄中にあった植垣康博さんの店だ。

 彼に再会し、痛飲した。前の店よりずっと広くなり、カラオケ・ルームもある。33歳も若い韓国系中国人と結婚し、男の子が誕生した。獄中の日常から、何という変わりようだろう! 店を出て、深夜の静岡の繁華街をさすらう。
 
 翌16日、ホテルで目覚め、朝食後「駿府公園」を散策。徳川家康が全国の大名に命じて一大土木事業を行った駿河城の威光漂う、素晴らしい公園だ。茶室で抹茶をいただく。

 何だか、「江戸」にいるよりも天下を支配した気分。なるほど家康が江戸を息子に任せて、ここ駿河で行ったのが「大御所」政治だったこと、よく分かりました。

 昼から植垣氏にインタビュー。刑務所体験、連合赤軍の闘争、60歳を目の前にした新婚生活。

 「息子が生まれて、自分たちのしたことを次の世代に伝えたいと、一層強く思います。しかし、毎晩酒まみれで、書くことに集中できません。これじゃ、〝お前のオヤジは人殺しだった〟と将来、息子がイジメにあうんじゃないか、と気がかりです」

 17日、オラの65歳の誕生日。

 妻がパジャマのゴムひもを換えてくれる。ゴムが伸びきって、片手で引き上げてないとズボンが落ちて来るという、情けない状態が長く続いた。

 夕方、妻と湘南新宿ラインで上京。窓一杯に夕陽が赤い。

オラ「赤く燃えて、僕の未来のようだね」
妻が言う「あら、日没っていうこと?」

 妻のごちそうで青山のイタリアン・レストラン「ヒロ」で夕食。

 フォアグラのポワレとカボチャのオーブン焼きトリュフ風味
 仔羊とジロール茸のピツォッケリ
 エゾ鹿のローストベリー

 その後、表参道の葉巻サロンで、イタリア・シガー協会のジーノさんと歓談。
「モンテクリスト 2003年」をプレゼントされる。数人のシガー好きが集まり、葉巻吸いつつ、夜が更けていった。

 秋深し65年の煙かな

刑務所を知りぬく戸塚宏さん

2007-10-16 22:03:30 | 人物
午前11時半、名古屋駅で編集者、カメラマンと落ち合い、戸塚ヨットスクールへ向かう。

 海辺の合宿所では、十代の男女が昼休みのくつろぎの時、我らにむかって「こんにちわ!」キチンと挨拶をする。気持ちがいい。

 3階の和室で、戸塚宏氏と対面。65歳だが、赤銅色の肌、いささかも耄碌の気配なし。

 彼は長期の裁判闘争の末、実刑6年の最高裁判決を食らい、去年4月に出所している。著書『静岡刑務所の三悪人』(飛鳥新社)を読んで行ったが、肉声で聞くと、印象はまた強い。

 かつては戸塚ヨットスクール、今は時津風部屋での「いじめ」が国民的関心を呼んでいる。

 しかし、日本で最も陰湿に、「組織的・合法的・全国的」にいじめが行われているのが実は、刑務所だ。そこでは、刑務官による恣意的な、多種多様な懲罰が待っていて「懲罰房」という恐ろしい部屋も用意されている。 

 獄中の獄。これは「裁判所判決」に加算された、法律によらない罰である。こんなことが許されるのか?

 戸塚氏は、「きなこ」を残しておいただけで「懲罰房」に閉じこめられた体験を語ってくれた。

 「懲罰房にもランキングがあります。ウンコが流れないで、そのままの部屋もあります。臭気で息も出来ません」
 「辛かったですか?」
 「いいや、ヨットのキャビンは、もっとずーっと狭いし、揺れてるんですよ、ハハハハ・・・」
  
 刑務所の中だって、日本国憲法と基本的人権がおよぶはずだ。それが全く等閑され、忘却されていることが問題。

 「刑務所こそ、役人が100パーセント悪事を働ける場所です。すべてが、管理の円滑化のため、を理由に許されてしまう。何のための円滑化か? 国民や囚人のためではない、役人自身のためなんです」

 戸塚氏は保釈を、はじめから断念した。

「入るときから、満期で出るぞ、と決めていました。罪を認めること、再審請求をしないこと、が保釈になる絶対条件です。私はその両方とも、最後まで同意しませんでした」

 彼はメゲず、壊れずに、出所できた。

 「何が一番辛かったですか?」
 「体操ができなかったことですね。これはストレスたまります。体重を減らしました。とにかく囚人を歩かせないで、閉じこめようとする」
 「何故ですか?」
 「刑務官は、恐怖心にこり固まっているからです」

 刑務所も社会の鏡である。囚人の「高齢化」が始まって、戸塚氏がいた静岡刑務所では、最高齢は89歳だった。

 「矯正教育なんて、聞こえはいいけど、なーんにもやっていませんよ。中では、ただ単純作業をさせるだけ。さんざん働かせても、出所の時にもらう金が少なすぎます。人の縁は切れて、誰も助けてくれない。せめて100万円はないとねー。就職と結婚の世話ぐらいしろよ、と言いたい」

 戸塚氏が中でやっていたのは、車の配線作業。4年間で得た賃金はト-タル10数万円、月給に直すと2千数百円だ。

 精神と肉体を骨抜きにして、雀の涙の所持金で、社会に放り出す。再犯の土壌は、刑務所が作っていることになる。

 渡す金が少ないのは、刑務所が取っちゃうからだ。諸悪の根元は「矯正協会」という特殊法人。法務省役人の天下り先だ。全国7万人の受刑者が稼ぐ金と、使う金の、収支一切をとり仕切っている。

 受刑者の日用品、差し入れの一切はここが仕入れ、値付けされる。それ以外は禁止。企業の委託作業も、ここを通す。調査のメスが入ったことはあるのか? 

 「刑務所に取材したい場合、広報課はありますか?」
 「ありません、囚人の人権を守るため、という理由で取材はシャットアウトです」

 いかに刑務所がちゃんとやっているか「ヨイショ」するテレビ・クルーは別なのだ。

 静岡刑務所には沢山の外国人がいた。中国人、イラン人、ブラジル人・・・。戸塚さんが集会などで問題提起すると、日本人はダメ、大学出は特にダメ。義を見て立ち上がるのは、大抵、外国人だった。

 「日本人が失った〝男らしさ〟をもってるのは、今や、外人だけですねー」

 出所の時、戸塚氏は「囚人服をくれ」と言って大問題になった。

 「服は貸与か、給付か、刑務官も知らないんです。前例がないという理由で、結局却下されました」

 中では職員を「○○先生」と呼ばねばならない。ところが、囚人は番号か、呼び捨てだ。どうして?

 「所内規定だ、と言うんです。憲法よりも優先する規定って何だ、その条文を見せてくれって頼んでもダメ」

 こういう原則を問い直す人が、日本に少なくなった。貴重な人だ。

 「ひどい所長ですよ。所長の氏名を聞いても応えない。おかしいでしょ。」

 公務員なのに氏名不明。刑務所とは、かくもミステリアスな場所だ。そして、「一矯正職員より」という1枚のハガキを見せてくれた。こう書いてあった。

 「戸塚宏先生、御本を読ませて頂きました。所長の
氏名は繁永正博で、現在大阪刑務所長をしております」

 西欧の個人主義、合理主義、人権思想のいずれにも根本的な疑問をもつ戸塚氏は、精神の根元を問うて東洋思想、とりわけ武士道にゆきついた。

 「幕末の日本を訪ねたシュリーマンは、〝幸福そうな日本人〟を描写しています。ちょうど〝国民総幸福〟を謳う、今のブータンのようだったのでしょう」

 引きこもり、ニートの子供を持て余した親からの問い合わせが、引きも切らず。今週末は「時津風部屋、いじめ問題」のパネラーとして『朝まで生テレビ』に呼ばれている。

 私「日本は、これからどうなるでしょう?」

 戸塚「必ず滅びます。ニートと引きこもりが、本当は500万人。彼らはいずれ働かないまま生活保護を受けます。そのカネ、どうするんですか?」

 真昼に始まったインタビューは、早や夕暮れを迎え、海面は静か、真っ赤な夕陽が知多半島の向こうに没しようとしていた。




 


インタビュー行脚

2007-10-15 00:12:11 | 社会
本日、これから名古屋に向かい、戸塚ヨットスクール校長・戸塚宏氏に
インタビューする。

戸塚宏氏に尋ねたいこと

①静岡刑務所の受刑者たち

・静岡刑務所は犯罪傾向の進んでいない短期刑とされているが、
 実際の受刑者たちの人間性や社会的状況はどんなものであったか

・外国人受刑者たちとの区別と交流の実際

・獄中の著名人について 金嬉老、江夏豊、角川春樹、今井澄ほか
 過去の服役者など

・受刑者の高齢化が進んでいると言われているがその実態は?

②刑務官

・刑務官に必要な適正とは何か、問題点は何か


静岡に移動して、元連合赤軍・植垣康博氏に尋ねたいこと

・現在の生活と最も楽しい時間

・出所後の10年と、元受刑者、死刑囚らとの交流、つきあい

・植垣さんの公の場での発言に対する、昨今の日本人の反応

・人生の目標、変遷、その意味


連合赤軍・植垣氏と話す

2007-10-14 19:32:05 | 雑談
久しぶりで植垣康博さんと電話で話す。連合赤軍事件で1972年に逮捕され、懲役20年の判決を受けて1998年、刑期満了で出所した人だ。

 いま静岡市でスナック「バロン」を経営している。以前、オラのラジオ番組で彼をインタビューしたことがある。

店の名前は、連合赤軍の頃、仲間は彼のことをバロン(男爵)と呼んでいたことから名付けた。

 2年前、23歳の若き朝鮮族の中国人女性・李紅梅さんと結婚している。
  
 オラはかつて、彼の著書『連合赤軍27年目の証言』を次のように書評した。

http://www8.plala.or.jp/shinpeishi/BookReview/Regosekigun.htm

 明日は某誌「刑務所特集」の取材で、植垣氏と、戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏にインタビューに出かけるのだ。名古屋、静岡といい気分転換の旅になりそう。

告訴理由を説明できない原告側

2007-10-13 19:00:56 | 社会
安倍前首相による朝日新聞記者・山田厚史被告第3回裁判(2007/10/12)報告   

さーさー、きょうの瓦版だよ! 
 
今回は、傍聴人は裁判所の外に行列して待ち、傍聴券を受け取るという方式で、東京地裁職員も動員されました。96席の103号大法廷は今回も一杯になりました。

午後1時半、開廷。双方の弁護人が次のようなやりとりをしました。

被告(山田)側 「山田氏のテレビ発言では、安倍事務所の秘書3人について一切言及されていません。一体、何をもって名誉毀損なのですか?」

原告(安倍)側 「テレビ視聴者が山田発言でどういう影響を受けたかによって、原告は重大な影響を受けたわけです」

被告側 「それを立証すべきは、あなた方でしょう?」

何という滑稽なやりとり! これを裁判長が引き取り、
「じゃ、次回公判は11月 28日(水)、よろしいですね」

その間、たった5分間、裁判終了。

次に、場所を参院議員会館に移して「山田厚史氏を支援する集会」が行われました。

はじめに、椎名麻紗枝弁護士から

「かねて原告側に釈明を求めてきましたが、返事が届いたのは
昨日のことです。内容は、山田サイドからの質問の意味がわか
らない、説明責任を山田さんが果たしていない、という貧しい
内容でした。一体、どうちらが起こした裁判でしょうか。こん
な裁判は、早く取り下げてほしいものです」

続いて「時の人」、ベストセラー『官邸崩壊』の著者、上杉隆さんの講演

  「朝日をねじ伏せる」ことが至上目的の安倍氏は、国民を守ると
  いう自分の立場を忘れた人です。
 
  立法府に君臨し、行政のトップにいながら、山田さんを訴え、司法
  に決着を頼む、この人は本当に「三権分立」をわかっているのでしょうか? 
  田中角栄や経世会は、決してこういうことをしなかった。

  「森の木陰内閣」、清和会から政権の行動がおかしくなってきています。


脱税、遺産問題、父・晋太郎が受け、安倍家の押入に隠された巨額のリクルート・キャッシュはその後どうなったのか。何も明らかにされないまま、政権を放り出した安倍氏の「裏」が語られました。

佐藤優氏と並んで、左右のメディアに神出鬼没の上杉氏。
「右でも左でもありません。下です」というトボけた味を持った38歳です。

佐藤、上杉両氏と山田氏の共通点は何でしょう? 
いずれも権力サイドから訴えられて「被告人」になりました。

司会の私がそう言うと、すかさず山田氏から「民事の場合は、人がつかない単に『被告』です」という訂正がありました。
(無知でごめんなさい、トホホ・・)

続いて、民主党の参議院議員・峰崎直樹氏の講演。金融財政の専門家として、日興という証券会社の問題点を次のように分析しました。

  
野村、大和に追いつこうと必死の日興は、「小泉改革」によって
最大の伸びを見せました。
 
経営トップはアメリカの経営手法を導入し、業績に連動した賞与、
高額配当、ストックオプションによって、天文学的な役員報酬を
得る仕組みを作り上げました。

子会社を使った連結決算の錬金術で、日興の150億円を超える不正
会計を、たった5億円の課徴金で済ませた「当局」判断のおかしさ。

アメリカで機能しているSEC(証券監視委員会)が、日本では体制
が不十分なこともあり、役割を十分に果たせていません(ちなみに
民主党は証券取引等監視委員会を強化すべし、との法案を何度も
提出しましたが、与党はとりあげませんでした)。ライブドアは、
日興の10分の1の粉飾で、会社もトップも、どんな目にあったで
しょうか?

自ら証券市場への信頼を台無しにした日興が、なぜ刑事告訴も、
お縄頂戴も、上場廃止にもならなかったのでしょうか。「真相
究明委員会」の設置を呼びかけましたが、政府与党はこれを拒否
しました。

このように、あまりに深い「日興問題」を突いた山田さんの発言
は、実は私が一番国会で追及したかったことです。


以上の峰崎議員講演の後、会場から次々と峰崎議員に質問が出ました。 

「たった2年前のことですよ。なぜ、日興を刑事告訴しないのでしょうか?」
  
「安倍氏は、なぜ今も議員でいられるのですか。彼を国会に証人喚問をしてください。参議院なら即刻できるでしょう?」

いくつもの知恵が民主党に授けられました。
最後に、「被告」の山田氏が立って、変わらぬ支援を呼びかけました。

「説明責任を果たすべきは安倍事務所だ、という姿勢を最後まで
貫いてゆきます」  

生ぬるい論戦の国会議事堂の隣で、
かくも熱い集会が行われました。

新たな論点が生まれ、新たな出会いがあり、
集会は「山田裁判」が産んだ貴重な副産物でした。

(文責・石井信平)


熱いぞ、ベンチャー企業

2007-10-12 22:44:22 | ベンチャー社長インタビュー
 昨日は、監査法人トーマツが主催する「Fast50」の授賞式に行って来た。場所は日本橋のマンダリン・オリエンタル・ホテル。急成長企業をランキングして、トップ50社を表彰するイベントだ。

 今までこれに受賞した社長さんを、オラはずっとインタビューしてきた。次のサイトで見ることが出来る。

 http://www.fast50.tohmatsu.co.jp/ceo/ceo_index.html

 会場では次の社長さんたちと歓談した。アウンコンサルティング(株)信太明社長、(株)ボルテージ津谷祐司社長、SBIベリトランス(株)沖田貴史社長。

 みんな若い、青雲の志をもったベンチャー社長たちだ。永田町も霞ヶ関も国民の信頼を失いつつあるとき、いま日本で最も熱く燃えているのはこの部屋だったかも知れない。