石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

告訴理由を説明できない原告側

2007-10-13 19:00:56 | 社会
安倍前首相による朝日新聞記者・山田厚史被告第3回裁判(2007/10/12)報告   

さーさー、きょうの瓦版だよ! 
 
今回は、傍聴人は裁判所の外に行列して待ち、傍聴券を受け取るという方式で、東京地裁職員も動員されました。96席の103号大法廷は今回も一杯になりました。

午後1時半、開廷。双方の弁護人が次のようなやりとりをしました。

被告(山田)側 「山田氏のテレビ発言では、安倍事務所の秘書3人について一切言及されていません。一体、何をもって名誉毀損なのですか?」

原告(安倍)側 「テレビ視聴者が山田発言でどういう影響を受けたかによって、原告は重大な影響を受けたわけです」

被告側 「それを立証すべきは、あなた方でしょう?」

何という滑稽なやりとり! これを裁判長が引き取り、
「じゃ、次回公判は11月 28日(水)、よろしいですね」

その間、たった5分間、裁判終了。

次に、場所を参院議員会館に移して「山田厚史氏を支援する集会」が行われました。

はじめに、椎名麻紗枝弁護士から

「かねて原告側に釈明を求めてきましたが、返事が届いたのは
昨日のことです。内容は、山田サイドからの質問の意味がわか
らない、説明責任を山田さんが果たしていない、という貧しい
内容でした。一体、どうちらが起こした裁判でしょうか。こん
な裁判は、早く取り下げてほしいものです」

続いて「時の人」、ベストセラー『官邸崩壊』の著者、上杉隆さんの講演

  「朝日をねじ伏せる」ことが至上目的の安倍氏は、国民を守ると
  いう自分の立場を忘れた人です。
 
  立法府に君臨し、行政のトップにいながら、山田さんを訴え、司法
  に決着を頼む、この人は本当に「三権分立」をわかっているのでしょうか? 
  田中角栄や経世会は、決してこういうことをしなかった。

  「森の木陰内閣」、清和会から政権の行動がおかしくなってきています。


脱税、遺産問題、父・晋太郎が受け、安倍家の押入に隠された巨額のリクルート・キャッシュはその後どうなったのか。何も明らかにされないまま、政権を放り出した安倍氏の「裏」が語られました。

佐藤優氏と並んで、左右のメディアに神出鬼没の上杉氏。
「右でも左でもありません。下です」というトボけた味を持った38歳です。

佐藤、上杉両氏と山田氏の共通点は何でしょう? 
いずれも権力サイドから訴えられて「被告人」になりました。

司会の私がそう言うと、すかさず山田氏から「民事の場合は、人がつかない単に『被告』です」という訂正がありました。
(無知でごめんなさい、トホホ・・)

続いて、民主党の参議院議員・峰崎直樹氏の講演。金融財政の専門家として、日興という証券会社の問題点を次のように分析しました。

  
野村、大和に追いつこうと必死の日興は、「小泉改革」によって
最大の伸びを見せました。
 
経営トップはアメリカの経営手法を導入し、業績に連動した賞与、
高額配当、ストックオプションによって、天文学的な役員報酬を
得る仕組みを作り上げました。

子会社を使った連結決算の錬金術で、日興の150億円を超える不正
会計を、たった5億円の課徴金で済ませた「当局」判断のおかしさ。

アメリカで機能しているSEC(証券監視委員会)が、日本では体制
が不十分なこともあり、役割を十分に果たせていません(ちなみに
民主党は証券取引等監視委員会を強化すべし、との法案を何度も
提出しましたが、与党はとりあげませんでした)。ライブドアは、
日興の10分の1の粉飾で、会社もトップも、どんな目にあったで
しょうか?

自ら証券市場への信頼を台無しにした日興が、なぜ刑事告訴も、
お縄頂戴も、上場廃止にもならなかったのでしょうか。「真相
究明委員会」の設置を呼びかけましたが、政府与党はこれを拒否
しました。

このように、あまりに深い「日興問題」を突いた山田さんの発言
は、実は私が一番国会で追及したかったことです。


以上の峰崎議員講演の後、会場から次々と峰崎議員に質問が出ました。 

「たった2年前のことですよ。なぜ、日興を刑事告訴しないのでしょうか?」
  
「安倍氏は、なぜ今も議員でいられるのですか。彼を国会に証人喚問をしてください。参議院なら即刻できるでしょう?」

いくつもの知恵が民主党に授けられました。
最後に、「被告」の山田氏が立って、変わらぬ支援を呼びかけました。

「説明責任を果たすべきは安倍事務所だ、という姿勢を最後まで
貫いてゆきます」  

生ぬるい論戦の国会議事堂の隣で、
かくも熱い集会が行われました。

新たな論点が生まれ、新たな出会いがあり、
集会は「山田裁判」が産んだ貴重な副産物でした。

(文責・石井信平)