石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

キリギリスの孤独

2002-03-03 03:35:58 | 雑談
 このブログに書き込もうとすると、見たこともない「セキュリティ警告」が画面に表示された。誰かが邪魔しているのだろうか?

 立ち往生して進めない、書き込めない。これをいいことに、休んでしまうのが「俺流」である。

 除去が出来たが、さて、何を書けばいいのか。まったく場当たり的なオラである。「信平ちゃんて、キリギリスっぽいよね」と妻は言う。

 キリギリスが、年金や、健保や、通帳や、介護や、入院保険のことに思いを巡らす最近の事態は、滑稽ではないか。

 老いの準備、といえば聞こえはいいが、何も準備してこなかったことに慌てているのが実態である。

 準備、と言えば、最大の問題は何か? 加齢に伴う健康や経済のことより深刻なのは「孤独」にどう対処するか、である。それにオラはちゃんと準備してきただろうか?

 お金があっても、友達がいても「寂しい」人生とは、自分に折り合いが付けられない人生である。こればかりは、政府も、保険会社も、どうにも手が出せない領域だ。

 きょう、桜の花ビラが風に散る鎌倉を歩きながら、馴染みの食品店に立ち寄った。オーナーの女性はオラと同世代。彼女は「ピアノを習い始めて7年になるのよ」と言い出した。

 「自分ひとりの時間のすごし方をもっているかどうか、そこが分かれ目だと思うのですよ、石井さん。そのための生き方、考え方、手立てを用意しなきゃいけない。それには、他人との会話に代わる何か、音で自分と会話したい、と思って、ピアノを始めたんです」

 いま、1年に1曲、ショパンの「ノクターン」をマスターしているそうだ。努力というよりも、料理の片手間に1小節を何度も弾く、「いい加減な、ながら練習ですよ」と笑った。

 キリギリスのオラが出来るのは、せめて鳴くことだけだろうか?