石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

伊豆山荘の夜

2008-10-31 21:19:32 | 旅行
大学時代の寮友、H氏の伊豆熱川山荘を訪問する。駅までクルマで迎えに来てくれる。

300年の年輪を誇る武家屋敷に立ち寄り、囲炉裏を囲んでの昼食。一気に首都圏が遠くなりにけり。

蒸籠うどんに天ぷら、思わずビールと熱燗を頼んで、飲み出してから「禁酒一週間」の真っ最中であることに気づく。大腸のポリープを切除したばかり。タイチョープ?

山荘に着いて、夕暮れの海を見ながら露天風呂に入る。贅沢の極み。鳥の声、微風、竹藪のそよぎ。

エマニュエル・トッドという気鋭のフランス人学者のことを友と語る。朝日新聞に載った秀逸なインタビュー記事。世界の「問題児」となったアメリカを、物の見事に斬っている。

寄せ鍋つつきながら、こうした書生っぽい議論も又よきかな。

精霊なる空気の中、たわむれにつけたテレビニュースの、いと疎ましき極み。

横浜トワイライト

2008-10-30 08:31:05 | 雑談
午前中、鎌倉のK内科で診察。消化器の検査結果を踏まえて、今後のアドバイスを受ける。

午後、パシフィコ横浜へ。立教大学S教授と合流。今後の授業方針など相談。

トワイライト横浜。水上バスで暮れなずむ横浜港を周遊した。紅蓮の太陽が観覧車の向こうに沈んで行く。大桟橋には「にっぽん丸」が停泊、純白の肢体を横たえていた。

海から、正面から「氷川丸」を見るのもまた趣あり。山下公園で船を降りてホテル・ニューグランド旧館ロビーでしばし懐旧のひととき。

1970年頃、このホテルに哲学者の久野収先生を「缶詰」にしてマックス・ホルクハイマーの翻訳をしてもらった。

あの頃、知性も見識も「巨人」のように見上げた先生は60歳だった・・今オラはずっと年上になってしまった。

先生と歩いた中華街の賑わい、今も変わらず。妻も合流して関帝廟に参拝する。

 金運を祈れば暮れるハマの秋

酒宴は遠し

2008-10-29 13:46:59 | 雑談
先週25日(土)の胃の内視鏡検査に続き、本日は大腸の検査。午前中は七転八倒して、2リットルの大腸洗浄液を呑む。

一升瓶持って、桜の木の下で、美女の膝枕で酒を飲む場面を想像する。

午後、検査無事終了。途中ポリープ3個発見、直ちに切除する。朦朧とした眼でモニターで見ていたが、自分の「腹黒さ」に改めて身のすくむ思い。

ポリープ3個といえども立派な手術。出来る限り病人を装って帰宅する。

 桜吹雪酒宴は遠くなりにけり

NHKニュースの楽しい見方

2008-10-28 22:27:53 | メディア
NHK夜の「ニュースウオッチ9」は、田口五朗・青山祐子の両キャスターが、一瞬の出遅れもなく「こんばんわ!」と同時に挨拶して始まる。

オラは毎回ドキドキしながら見ちゃうのは、いつか、どっちかがフライングしないか、その一瞬を見たいためにチャンネルを合わせる。

音楽が鳴る。きょうのアバン・タイトル。はい、両キャスターのツーショット。一拍おいて、はい、キューッ! 「こんばんわ!」

ここでオラはガッカリする。きょうも一瞬の乱れもなく、二人の挨拶は合ってしまった。

「合わせよう」と決めたところから、北朝鮮軍の行進のように絶対に合わせる。たかが挨拶、しかし、NHKのこの厳密さが相当に怖い。

ニュース現場の取材経験豊富な田口さんと、スポーツ選手に甘ったれインタビューの経験以外何の「売り」があるのか、皆目不明な青山さん。二人がどうしてかくも「平等」なのか。

田口さんの真骨頂は、ニュースの締めでエラそうに講釈を垂れるところである。青山さんに顔が向いているが、決して相手の目をみていない。言おうと覚えたことを、ゆとりをもって言い切ろうとする。

「・・いずれにしてもですね、金融危機と物価高の経済を何とかして欲しい、というのが国民の声です。これにどう応えるのか、政府の経済政策が問われるところです」

青山さんはここで、間髪を入れず大きく頷き、「フーッ」とため息をつく。この場面こそ見逃すな、番組最大のヤマ場である。

「ニュースのプロはやっぱり違いますね、田口さんはスゴイ」という顔を作ろうとしている青山さん。しかし、真意は明らかに「また、その程度のコメントですか、田口さん」と怒っている。

迷いを振り払うように、青山さんは言う「次です!」

こうして、オラのこの番組へのテンションは急落する。エンディングは何のスリルもない。田口さんが「それでは」と言い、それを確認して青山さんが「それでは」と同じコメントで幕を引く。三歩さがって先輩の影を踏まず。

NHKというサラリーマン社会のヒエラルキーがむき出しになるエンディングである。

森山良子嫌い

2008-10-27 18:17:44 | 人物
「私は森山良子が嫌いだ」という、ある人のブログ文章をたまたま読んで、すっかり共感した。

オラも森山良子が嫌いだ。特にあの声と、あの歌い方が嫌いだ。何でも「かわいげに」「善良そうに」「切々と」歌う。

あの年齢で「かわいく」というのも、どうかと思うが、「成熟」を拒否しているのだろうか。

彼女が日本でヒットさせた「ドナドナ」という曲は、ユダヤ人への迫害がテーマであり、「思い出のグリーングラス」は、処刑される直前の男が回想するふるさとの風景だ。

ところが、森山良子が歌うと「迫害」も「処刑」も端折ってしまい、「かわいい少女が人生の美しさを愛でる」歌に変貌しちゃう。

もちろん、これは森山の責任ではなく、日本の文化産業という「装置」の問題である。

人間社会が当然秘めている死や差別や暴力を、「ネガティブ」なものとして排除して「文化商品」を流通させているのは、どこの誰の魂胆だろう。

森山は、そのための格好の「流通経路」というわけだ。

森山良子とは、未成熟と「没・批判精神」を振りまく典型的な歌声だ。

妻だけど怖い

2008-10-26 10:02:35 | 雑談
金融危機に象徴される「世界の不安定」にオラも怯える。

束の間の安らぎを音楽に求める。材木座に新たに出来たパン屋さんは評判が良くて、即刻売り切れだ。その喫茶ルームで妻と「チャイ」を飲む。

聞こえる音楽が、アフリカのコンゴ生まれのキューバン・ミュージック。カリプソ風のゆったり感をアフリカ風にアレンジしている、絶妙の「あいのこ振り」がいい。

コンゴと言えば、ついこないだまで「ザイール」と呼んでいた。オラも行ったことがある懐かしい場所だ。文化はこうして限りなく「混合」の極みがいいのだ。

近所の中華料理屋で夕食後、外に出たら、妻が手にした傘を振りかぶって「座頭市」の決めポーズでオラを威嚇した。「妻だけど怖い」と思った。

さすらいのオッサン

2008-10-25 14:06:21 | 雑談
人生から「削除」してもいい一日。さすらい、浮遊して、思考もゆるゆると停止させてしまいたい。そんな気分になったのが昨日だった。

駅前の本屋で文庫本を一冊買い、弁当を買い、キヨスクで『週刊文春』を買う。スイカで駅に入場すると、テキトーにやってきた車両に乗る。

なんか「ローカルなところ」に身を置きたい。鎌倉からは次のようなチョイスがある。

①東海道線・熱海方向 ②久里浜に出てフェリーに乗船 ③湘南新宿ラインで高崎方面 ④総武線経由・成田へ ⑤千葉から房総へ・・

何となく房総へ。君津を過ぎると窓の外の風景、乗客の服装・人物、ガラリと変わって「ローカル」色にじみ出てくる。

海の風景も湘南とは大違い。これだけで「はるばる来た」気分になる。小学生のころ臨海学校で来た「岩井海岸」を過ぎて、館山に至る。日暮れも迫るトワイライト。

読んでいた文庫本は佐伯泰英『密命読本』。今をときめく時代小説家だが、実はオラと同年齢。彼がスペインから帰国した頃に面識もある。

10年前に突如ブレークして時代小説の寵児になった。驚きと敬意をこめて読みふけった。

ガラーンと空いた往路とは違い、帰還の車内は次第に混み始め、千葉駅でオラは怒濤の如きサラリーマンの群れに呑み込まれていった。さすらうのも大変やのー。

エロスのドン

2008-10-24 13:35:52 | 雑談
きのう、学生に提出させたレポートの末尾に「先生(私)のニックネームを書け」と指定したら、色々書いてきた。

「コーヒー・ルンバ」「マッキントッシュ弥太郎」「バルタザール」「エロス大統領」「変態蝶ネクタイ」「エロスのドン」

「エロスの伝道師」「ジンジャー紳士」「ダンディ・めがね」「フランク・ジェントルマン」「卑猥軍曹」「エロめがね」「伯爵」「お札顔」(オラの顔がお札に描いてありそうな顔だから、だそうだ)・・・

オラは蝶ネクタイにソフト帽、ステッキ姿で教室に登場する。話すことは「エロス」だから、オラへの命名も「分裂症気味」なのはやむおえない。

エロ渇望症

2008-10-23 20:23:39 | 雑談
立教大学での「メディア・エロス論」授業・第五回目。きょうは「写真」の話をした。

写真の誕生こそ、近代の黎明の鐘であった。そこに電信技術と鉄道が加わり、社会が「情報化」して、新聞・雑誌が写真の需要を高めた。社会コミュニケーションの激変が起こった。

密かに、みだらに、恋人同士が「写真ごっこ」にふけったのは束の間のことだった。

雑誌社が競ってエロチックな写真を大量頒布して、ビジネスに変えていった。欧米では戦争がエロを後押して「ピンナップ写真」の市場が巨大化し、戦後バブル経済に、『プレーボーイ』や『ペントハウス』などの老舗が登場して市場を席巻していく。

印刷物では手が足りなく、ネットが加わった。大量のエロ・コピーの供給の果てに起こる事態とは、何だろう?

大衆の脳髄が、もはや「エロ依存症」になり、「もっと新しいモデルの、新しいエロを、もっと、もっと・・」と渇望する。

世に「ジャンク・エロ」がはびこる構造とは、かくのごとしである。

この渇望パターンは、昨日書いた、大衆が「新しいニュースは何だ」とニュース依存症に陥って行くのに、そっくり同じである。

こうしてニュースとエロは産業化し、巨大な利潤で独占企業化しているのでアール。ではまた来週、チャンチャン。

メディア・ファシズム

2008-10-22 15:37:32 | メディア
時代は既に「ヒトラーのいないファシズム」「バンザイのない大政翼賛会」の時代だと思う。

大量の情報を日々「上書き」してゆくマスメディアが君臨して、愚民どもの問い「What's new?」に答える。

愚民 「メディア様、きょうのニュースは・・?」

メディア 「きょうは、ニューヨークで株が戦後最悪の暴落だ。世界金融危機だぞ」

愚民 「最悪? じゃ、これ以上は悪くならないのですね?」

メディア 「明日は、もっと悪くなる。あさっては、もっともっと悪くなる・・」

愚民 「わぁー、もうあなたから目が離せませんよ!」

メディア「目を離すな、決して。俺が世界の真実だからナ」


みんながメディアから目が離せなくなり、メディアと一緒に一喜一憂する時代を「メディア・ファシズム」という。

メディアの思考法に慣らされ、その価値観を前提にしか他人とも話せなくなってしまう時代。既に、ドップリとそういう時代になってしまった。