石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

ナゾに挑む人、今野勉

2008-04-30 23:54:22 | メディア
 表参道のテレビマンユニオンに出かける。同社の副会長で演出家の今野勉さんに会い、幻の名著「お前はただの現在にすぎない」の再刊行について話す。

 演出力、統率力、記憶力、「力ある人」という点で、今野さんはオラが知る人の中で抜きん出ている。「決してパニックにならない人」というのが、かつて一緒に仕事をした時の強い印象だ。

 いま72歳になるが、脚本・演出を担当して、来週から上海にドキュメンタリー・ドラマのロケに行くそうだ。タフネスも才能の一部だ。

 今の仕事を楽しそうに語るし、40年前の「TBS闘争」を笑いながら語る。この人の口から、嘆きや愚痴を聞いたことがない。

 小さなテーブルを挟んで、オラはテレビをあきらめ、彼は今もテレビを愛する人として対面していた。

 仕事に「ナゾ」をもつかどうか、そこが分かれ目だ。テレビという装置を使って、自分が面白いと思ったナゾを解くこと。それが彼のモチベーションだということが分かった。

 夕方、錦糸町で妻と合流。炉端焼きで一杯。錦糸町とは、かつての上海租界を髣髴とさせる町だ。見たことないけど。

 妻のお父さんも加わって、カラオケ・バーへ。彼は徹底的に原語の韓国歌謡で攻めてくるのに、オラは李香蘭「夜來香」など、中華路線で防戦する。

ベートーベンの引越し

2008-04-29 23:12:37 | 社会
 妻と一戸建ての物件を見に行く。素晴らしい環境。2階の窓を開けると、右手に海原、左手に緑の山を眺め、背後は光明寺の境内である。

 海岸まで歩いて60秒。築40年、昭和の典型的な住宅。実相寺昭雄、久世光彦の世界に紛れ込んだよう。

 しかし、残念ながら狭い。モノが多いオラに問題があるのだが・・・・

 ドイツ人の友人に話すと、「大いに興味あるが、敷金・礼金・保証人のことを思うと簡単に引越し出来ない」の言葉が返ってきた。

 欧州には”引越し貧乏”という言葉はないそうだ。確かにウィーンの街には、あっちこっちに「ベートーベンが住んだ家」が残っている。

 敷金・礼金があったら「楽聖」もあんなにあちこちに住めなかっただろう。

 「月光」の印税でここ、「熱情」の前払いであそこ、と気ままに移動できたとしたら、彼の「苦悩の生涯」もずいぶん違って見えるナー。


63年ぶりの再会

2008-04-28 23:56:20 | 戦争
 午後、妻と上京。外苑前から歩いて「ホテル・フロラシオン青山」宴会場へ。

 宴会大好き男のオラだが、きょうは特別な会だった。「新京第一中学・東寧組再会の宴」、77歳の男たちが集った。オラは「遺族席」に座る。

 昭和20年5月末、14歳の彼らはソ連と満州の国境「東寧」の地に、農作業の勤労動員に狩り出された。8月9日、ソ連軍が攻め込んできた。

 生徒114名の徒歩による逃避行が始まった。親たちが待つ新京(現・長春)への道は600km。落伍者、病人、行方不明者を出しながら、本隊が帰着したのは晩秋になっていた。

 ただ一人の引率教師・斉藤喜好先生の判断、生徒たちの忍耐が可能にした生還だった。だが、オラの兄、石井公平は帰ってこなかった。

 北海道から、四国から駆けつけた「学友」たちは、こもごも語った。

 「あの時に頑張れたから、その後の人生も頑張れました」

 「朝、寝汗をかいて目覚めることがあります。それを忘れたくて、今まで同窓会には出られませんでした」

 「あの時に見たこと体験したことは、トラウマになっています。これを持ったままあの世に行きます」

 1991年に、オラは彼らの何人かと東寧まで旅をした。そして『中央公論』9月号に「関東軍作戦放棄地区をゆく」というルポルタージュを寄稿し、TBS『報道特集』でテレビ番組にもした。オラの国家・戦争・中国観のベースとなる体験だった。

 ホテルに泊り込んで語り明かす彼らと別れ、オラは姉、妻と近くの表参道ヒルズのバーに寄り、ワインを飲んだ。

 1980年代生まれと思しき、未来ある会社員の男女が歓談し、笑い、どよめいていた。
 

閑寂な日曜日

2008-04-27 23:31:19 | 雑談
穏やかな日曜日。世間はゴールデンウィークらしい。妻は美容院へ行ってしまった。

 何にも訪なうことのない
 私の心は閑寂だ
 それは日曜日の渡り廊下
 みんな野原へ行っちゃった

 中原中也の詩「閑寂」が妙にリアルに思い出される。

 小人のオラは閑居して、不善をなさぬうちに、家を出て海岸を歩く。材木座集会所でバザー、皿を2枚買う。

 夕暮れ、自宅ベランダの床机にツマミを並べ、山を見ながら緑を寿ぐ。酒は別れた妻から届いた富山の銘酒「銀盤」を熱燗にする。夕食は、妻の実家から届いたスキヤキ肉。

 我が家の食糧自給率は落下の一途をたどっている。

花もイバラも踏み越えて

2008-04-26 15:51:03 | 雑談
 白っぽいウェアの大警備陣に守られたオリンピック「聖火」は、上空からの写真で見ると、まるで巨大な「おにぎり」の中の小さな梅干に見える。

 ランナーのひとり、萩本欣チャンが「沿道にいる人は誰も見えなかった」と言っていた。声援、歓呼がないところ、ただ「物議」が移動するのみ。

 「これじゃ、戦車で運んだほうがいいわね」と妻が言った。

 栄光のオリンピック・ロードにあらず、何だか中国はイバラの道を選んでしまったなー。

 イバラといえば・・・近所の九品寺(くほんじ)は鎌倉観光コースにはのらないが、オラの散歩コース。ここに何とイバラの花が、今や満開である。

 「ナニワ・イバラ」という品種で、黄色の花芯に純白の花弁。バラの花にそっくりなのは「バラ科」だから。ふとどきにも、寺の目を盗んで口付けしようとしたら、枝のトゲで口の脇を切って、血だらけのみっともなさ。

 いつまでも、イバラがつきまとうのか、オラの人生・・・。 
 

「国境なき記者団」in 有楽町

2008-04-25 23:22:54 | 政治
 いま何かと話題の「国境なき記者団」のフランス人から電話あり。「きょう、事務局長のロベール・メナールが成田に到着して、午後、有楽町の外人記者クラブで会見をやります。ぜひ来て」

 その前に朝日新聞社出版に寄り、幻の名著『お前はただの現在にすぎない』(1968年、田畑書店)の再刊行について打ち合わせ。

 17:30PM 記者クラブは超満員の盛況。メナール氏の到着を待つ間、オラはシーブリーズの濡れティッシュで汗をふいていた。突然、周囲の日本人記者・カメラマンたちが「な、なんだ、この変な匂いは!」と騒然となった。

 変な匂い→硫化水素→猛毒、の条件反射が起こったのだ。発臭源はオラだった。「これ、単なるティッシュですよ」と見せたら、みな安心の顔。大丈夫か?こんな人たちがジャーナリストやっていて。

 定刻をだいぶ過ぎてメナール氏が到着。「成田の入管に止められ、長時間尋問されました」

 会見は氏のフランス語に英語の通訳。質問者は多国籍で、3000人の警官に守られた「聖火リレー」より、こっちの方がずっとオリンピックらしい。

 質問(日本人記者)「ジャーナリストの使命はペンで書くことだが、あなたはそこから逸脱し、『国境なき活動家』になったのではないか?」

 メナール「私はすべてのジャーナリストに対して、私のように活動せよとは言わない。中国では、自分の意見を発言しただけで、多数が投獄される現実がある。それに対してあなたはどうするかだ。ここに「自由」と書いたバッジがある。これを胸につけるだけでもいい。いま牢屋にいる記者への、激励のサインになるはずだ」

 質問(ドイツ人記者)「成田での長時間の入管チェックに、どんな感想を?」

 メナール「日本は民主主義国と理解していましたが、ほとんど犯罪者扱いでした。アメリカ経由で来ましたが、あちらでは何の問題もなかったですよ。でも、日本はカメラマン・長井健司さんを殺したミャンマー政府よりマシだとは思いました」

 質問(ロイター通信・女性記者)「いまニュースが入りました。中国政府がダライ・ラマの代表者と対話を始める、とのことです。ご感想は?」

 メナール 「ブラボー! 素晴らしいニュースだ。私は、両者の対話が始まれば、今の活動を直ちにやめる。長野では、チベットの旗を掲げ、北京オリンピック反対のTシャツを着る。日本の法律に違反せず、平和的に意思表示します」

 小柄な身体だが、大きな人物を感じた。明快なメッセージだった。「ためらうな。君は感じたままを言語にして発せよ」。それは「オラが春」の精神でもある。

「助平学」はじめます

2008-04-24 23:07:02 | 社会
 大学から辞令が届く。これでオラも「立派に」講師の肩書きがついた。立派「な」でないところがミソ。そう呼ばれるのは、まだまだ先のことだ。

 ここでは大学名を、まだ明かせない。第三者で、これを取り消そうとする勢力が大学に働きかけるかも知れないから。

 講座名は「メディア映像論」。授業内容は「エロスはいかに創造されてきたか」。ずばり「助平学」である。

 メディア論の授業は、情報だネットワークだ、のご時世で、あちこちで見られる。オラは、そんな一人に加わる気はない。

 助平は一日にして成らず。そこにテクノロジーや芸術が関わり、法律や宗教が介入し、幾多の先人が「助平の会戦」で戦死している。一片のエロ画像から、人類を読み解くのだ・・・。

 なーんていう授業をやるわけです。気がはやって、いま頭の中は「ウニ状態」。

 9月から授業開始。散々踏み固められた路線ではなく、「けもの道」をゆくことこそ、「オラが道」である。 

 妻が言った「そんな辞令出して、大学もすごいリスクを背負ったね」
 

存在の、耐え難いバカさ

2008-04-23 06:48:53 | 社会
 きのうは怒涛のテレビショー、これでもか、の報道。「光市母子殺人事件」の元少年に死刑判決。  

 これだけ「かまってもらえる」んだったら、オレも死刑になりたい、という自棄的な人物が現れておかしくない。と思ったら、きのう、鹿児島で19歳の自衛隊員がタクシー運転手を刺殺。「死刑になりたかった」と供述。  

 死刑制度がある故に、死ななくてもいい人が殺された。  

 自分の生きていることの無意味、誰もかまってくれない「存在の耐えられない軽さ」、犯罪は追い詰められた者の、最後の自己表現になった。居直った彼らにとって、警察、報道、裁判、すべて「オレのための装置」である。  

 オラが住む町の市役所は、オラのための「装置」だから、きょうは、堂々と乗り込んだ。既に終了してしまった健康診断を「受け直しさせて」と談判。

 こわもてには言いませんよ。熟した女性職員に「素敵なイアリングですね」と、まず低音で迫る。結局、検診も受けられるようになり、携帯番号まで聞いてしまった(ウソウソ)。

汝にビジョンありや

2008-04-22 07:59:46 | 社会
 焼き鳥屋のカウンターというのは、テレビより面白い「社会ウォッチ」の場所だ。鎌倉の「ひらの」で、昨日、妻の帰りを待って時間をつぶした。

 マスターは長髪、耳にピアス。煙で大きな目が濡れ、分厚いくちびる。オラはひそかに「鎌倉のミック」と呼んでいる。もちろん、ミック・ジャガー。

 やきとりを焼く火で、指先が焦げてるんじゃないか、と心配するほど、すごい集中力で焼く。ギターに熱中するミックの顔だ。

 オラの隣に座った中年女性。どうもエアロビックスのインストラクターのようだ。連れに向かって熱く語っているのがビンビン聞こえた。これが、優れたコメントで、オラは感銘を受けてしまった。

 「エアロビをいくらやってもね、身体をプラスに変えるなんて、出来ないのよ。バランスを整えるだけ。多少ストレスを減らす程度。ストレスを寄せ付けないで、身体をどんどんプラスに変えていくのは、クスリや医療でもないわけ。じゃあ、何だろう? それがね、自分の人生にビジョンをもつかどうか、なの」

 オラは思わず、その人の手を取って言いそうになった。

 「そ、それって、僕に向かって言ったのですか?」

対岸で済まない、火の車

2008-04-21 22:03:26 | 政治
 オリンピック聖火リレーが、世界のあちこちに「火」をつけて回っている。きょう、クアラルンプールに到着した。

中国本土では、なつかしや! 「紅衛兵」たちがゾロゾロ湧き出して、「この火を守れ」と愛国デモを始めた。

 「こっちは、オリンピックどころじゃない、火の車だよ」と、後期高齢者医療の問題で、日本の老人たちが抗議の声をあげている。

 ひどい制度改悪だ。いずれ、健保料金を払いきれずに「保険証没収」の事態があちこちで起こりそうだ。いや、年金から「天引き」されるから、生活破綻のほうが先か。

 夕方、鎌倉駅改札口で、妻の勤め帰りを待ち受ける。ウィーンで買ったソフト帽、シャツはピンクで決めました。

 「老人は、ただでさえ汚いんだから、小奇麗にしなきゃ、と私のお婆あちゃんがよく言っていたわ。みだしなみが大事ね」と、妻は言う。

 駅前でソバを食べ、スーパーに寄って買い物をする。ケーキ売り場で、子供が母親に甘えてはしゃいでいた。

 「前期高齢者」に突入したオラも、はしゃいでみる。