石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

ゴムひもから見える社会

2007-10-18 17:07:06 | 社会
戦後、劣化したものにパンツのゴムひもがある。適当な太さと張りのゴムひもを手に入れることが、そう簡単じゃない時世でもある。

その背景には、パンツであれパジャマであれ、駄目になったら新しいゴムひもと交換する手間を嫌い、本体を買い換えてしまえ、という風潮がある。「もったいない、捨てずに長く使おう」という志向なしに商品がプロダクトされている。
  
 だから、誕生日に妻が取り替えてくれたパジャマのゴムひもは、オラにとって特別なプレゼントであった。肌触りが気に入っていたパジャマ本体の買い替えを選ばず、あくまで「ゴムひも」の交換にこだわった。

 「こんにちわー、歯ブラシ、ゴムひもは要りませんかー?」。ゴムひもは、むかし、制服制帽の大学生が一軒一軒の家を訪ね、売り歩く暮らしの必需品だった。彼らは「苦学生」と呼ばれていた。

 その頃は、長い戦争が終わって、社会全体に復興と希望の気運があった。苦学生には「ネットカフェ難民」の暗さはなかった。今の「格差社会」には、希望がない。

 たぶん、ゴムひもを換えてしのぐ「のりしろ」が社会全体から失われ、ゴムのないパンツで凌ぐか、新品を買うかに「格差」が明確になったのである。

 ゴムひもが劣化したのではなく、劣化を続けているのは「ゴムひもなどどうでもいい」という社会である。