石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

旧秩序からの、脱藩者 『木村 剛』 2/2

2010-06-29 17:03:38 | 人物
具体的な提案は本に書く
書いたら次は実行に移す
そしてついに銀行を作った


 銀行員には言論の自由はないのか?名乗った上で大いに議論しようという気風はないのか?ヤクザが不良債権の根っこであることに言及しない日本の経済ジャーナリズムこそ問題だ、と指摘する『ヤクザ・リセッション』(光文社)は、発売後一カ月で7万部売れている。著者の「フォーブス」アジア太平洋支局長、ベンジャミン・フルフォードが語る。

 「日本の銀行がダメだということを、あそこまで徹底的に言ったのは木村さんが初めてでしょう。退場すべき巨大企業30社問題を提起したのも彼です。つまり彼は金融の世界で『王様は裸だ』と言い続けた。この国は、いろんな業界でそれを言う人物がもっと出るべきです」

 いろんな業界を統括するのが「官僚」である。官僚に対する木村の立ち位置はどうか。薬害エイズ問題で高級官僚が責任をとらずに逃げたことについて、木村は次のように発言している。

 「これからの日本にとって一番必要なことは、国家公務員の一人ひとりに相応の個人責任を負わせること。そのための法律を作るべきです。一つの仕事に携わった者はすべて連名で署名させましょう」(二宮清純との共著『野球と銀行』東洋経済新報社)。こんなに具体的提案を官僚に投げる「ビジネスマン」はめずらしい。

 彼がエコノミストや評論家と間違われる理由は、多くの著書を出版しているからだ。「どうしたら自分の本が売れるか努力しました。大前研一、堺屋太一など本当は読みたくないけど、なぜ彼らの本が売れるか必死で研究しました」

 最近の木村の出版連射支えている一人、アスコムの編集者・高橋克佳が語る。「本の力を信じているのが木村さんです。あのエリートがよくも、と思うほどゲラと格闘してくれています」

 このコンビで、あの1万ページを超える国会議事録を読破して作り、国会が言論の府ではないことを喝破したのが『粉飾答弁』上下1000ページである。さらに『竹中プランのすべて』を今年の3月危機にぶつけた。そして「日本振興銀行」の立ち上げに合わせて『金融維新』を出した。

 不順な夏の天候を切り裂くように、8月20日、木村は記者会見に臨んだ。「借り手主導の金融が今こそ必要です。中小企業向けに無担保、無保証、即決で融資する日本振興銀行の設立の申請をしました。本日、金融庁顧問の職は辞しました」


「木村剛」のブランドで
日本を覆いつくせ!目指すは
金融界のジャニーズ事務所


 日銀記者クラブには、まるで闘牛士を迎えるスタジアムのように記者たちが詰め掛けた。その割には質問に熱気はなかった。帰りの道で木村が言った。「最近の記者たちは、何が本質的で大事か分からなくなっています。僕への誹謗中傷は相変わらずです。サラリーマンなんだから『巨悪』に挑めとは言わない。でも、僕が書いた『粉飾答弁』など、本当はジャーナリストがやるべき仕事ですよ」

 木村はその後たて続けに日銀記者クラブで会見を行い新事業を発表した。カメラつき携帯電話で、物流と決済を一体化させた「携帯銀行」を実現する「メディアスティック」。そして、パソナと提携し、財務などの実務チームを企業に派遣する事業「MSP」。木村の持論は「起業とは健全な狂気である」。一カ月に三つのベンチャーを古巣の日銀でぶち上げる。妬みと敵意を受けかねない目立ちようだ。早くも作家・高杉良からは「木村は墓穴を掘った」と日本振興銀行の失敗を断定されている(「現代」11月号)。

 高杉や植草一秀(早稲田大学教授)は竹中・木村ラインに批判的だ。慶応大学教授・金子勝は、木村が「竹中チーム」という政策現場に入ったことで、不良債権処理の手法に一定の前進があったと評価する一方で、木村が大きな自己矛盾を抱えたことを懸念して語る。

 「チームに入ったことで、彼は年来の主張であった、公的資金の強制注入論や銀行経営者の法的処罰論も後退させました。『竹中チーム』に入る前だったら、りそな銀行の債務超過問題に黙ることはなかったでしょう。あるいは、今の枠組みでは、これも年来の主張であった中小企業を救うための中小銀行の改革は全くできません。頭のいい彼は、そのことを自分でもよく分かっているので『日本振興銀行』の設立にもコミットします。でも私には、彼がもがいているように見えます。彼の高い能力が消耗してゆくのではないか、それが心配です」

 木村が過剰な仕事をかかえていることは事実だ。そして、彼のクライアントたちは彼のベンチャー事業に対し、成功すれば彼を妬み、失敗すればバカにするだろう。木村はそういうリスキーな立場に自らを追い込んでいる。その疲労をいやす愛人や恋愛の影は彼の生活に皆無だ。周辺にいる数少ない女性の一人「メディアスティック」社長、宮内淑子が語る。

「新会社の経営戦略のアドバイスや財務を木村さんにお願いしています。彼は関わり方が中途半端じゃない、直球の人です。生きるとは誰と何ができるかです。彼は頭の中が建築家で、場を読むクリエーターです」

 一瞬のスキを突いてセンターフォワード木村が敵陣に駆け込む。彼にボールをパスした田村友一は語る。「木村君はゴールを決めても、他の選手と抱き合って跳んだりはねたりしません。『入れたぜ』とニッと笑い指一本立てるだけ」

 田村は富山市に本社をおく製薬会社・日本医薬品工業の社長だ。秋も深まる頃、同社が主催する木村の講演会があった。富山空港に着くなり、彼はせわしなく携帯を開き東京の秘書に電話を入れる。

 「そうか、よかった!」

 新しいコンサルタント契約が決まったグッドニュースだった。「受注残が3カ月程度先で、ストック商売じゃないので、常にジリ貧です」。彼の言論の「自立」を支えるのは、まさに地を這う商いである。

 富山全日空ホテルに北陸の医薬関係者が詰めかけた。金融を襲った自由化の波が、遠からず、旧厚生省と「護送船団」で来た医療業界をゆさぶることを強く警告する講演内容だった。

 「その時、霞が関のお役人が第一に考えるのは決して国民や業界のことではありません。自己保身です。そして世論への迎合です。皆さん、その時のための用意ができていますか?」

 講演後、結構な懇親会が用意されていたが木村は空港へ急ぎ、殺風景な空港レストランで「カツカレー」をかきこんだ。東京に戻る飛行機の中が、木村と差しで話し合える最後のチャンスに思えた。

 とっておきの不快な質問を、彼にぶつけた。

――木村さんは国策に関与している、いわば究極のインサイダーですよね。それを自分の会社経営や講演、執筆に使うというのは、商売上手というより、ずるいんじゃないですか?

 彼の眼がキラリと光った。一打たれたら、百打ち返す断固たる表情になった。

 「それは情報というものに対する勘違いです。インサイダーの時代はインターネットの登場で終わったのです。僕が関わった審議会の議事内容は誰でも見られるのです。マスメディアが情報のプロバイダーとして時代遅れになりつつあるように、今は本当に大切なのは情報をどう分析し検証するかです。僕は金融に関する目利きであり『伯楽』としてビジネスをしてゆきます」

 そして思いがけない言葉を続けた。

 「僕はコンサルタントで終わりません。政策提言、出版、教育、法務、情報発信など、あらゆる金融サービスを提供するナレッジ・コングロマリットを作り上げます。金融職人の『ジャニーズ事務所』です。そして、それのメドがついたら、今度は医療の領域に進みたい」

 木村剛というブルドーザーは、官僚と業界がつるみ、「護送船団」で来た明治以来の「国策のわだち」を逸脱して自分のブランド・ロードを作ることに賭ける。それが彼の「維新」であり、日銀ブランドからは「脱藩」して当たり前だった。

 見渡せば平成維新と呼ぶには若者たちは総じて無気力。かつて「草莽」と呼ばれた在野の志士たちはいずこにありや。群れることなく、ポマードが塗られた木村剛の頭脳が、まるでシャフト・ドライブのように高速回転し続ける。



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