東京、横浜から帰って来てもう一週間経ちました。
月曜日の夜、友人と「先週は一緒に“あいのり”見たんだよねぇ(笑)」
なんて のやり取りをしながら不思議な気分に浸ってました。
知らない場所に遊びに行ったりすると、普段とは全く別の時間の中にいるようで
ただひたすら楽しくて、家に帰るのが嫌になるほどです。
それはきっと決められた短い時間の中だけの出来事だからじゃないかな?
よそ者としてやって来て、よそ者として帰って行く。
その場所にも、そこにいる人々とも深く係わる事はない。
よそ者としての場所、よそ者ではいられない場所。
2つのバランスが大事だとは思うけど、時々ずっとよそ者でいられたら
どんなにラクだろうと思う・・・それって逃げてる事になるのかも知れないけど。
今度はいつ「よそ者」として旅立てるかな
自分を知っている人がいない場所で、人目を気にせずに楽しい時間が過ごせる、まさに現実逃避ですよねぇ~。
現実と非現実、二つのバランスが大事…。
その通りですね。
現実が存在しなかったら現実逃避もあり得ないわけだしね。
また、「よそ者」になるべく、予定を立てたり、貯蓄をしたり、頑張りましょう♪
現実の世界で…。ねっ!
私はなんかソノ土地に染まるタイプみたいです
全く自分を知らない人ばかりなのにな(笑)。
私のブログに書き込みましたが、本当に地元の人間に思われるのか・・・道を聞かれます
そういう風に道を聞かれるからか、馴染んでしまうんですね。
でも自分という人間を知っている人がいないから羽を伸ばせるっていうのもあるかな???
いつもと違う自分が発見できたりします。
まさしくそれこそ旅の効果!“醍醐味”ですよネ♪
日常を離れ、現実(うつつ)を抜かす(笑)
一度心をリセットして、初めて実感できることもあります。
見えないものが見え、いて当たり前だった存在の大切さを知ったり。
旅の空で、思うこと、お金に代えられない体験です。
また古い歌の歌詞を突然に思い出しました。
“夕焼け燃えてる その向こう 優しい街があると云う
愛にはぐれた私でも 生まれ変われるそんな街
人は旅人 流人(ながれびと)
淋しさだけを道連れに 明日への川を越えていく”
初めてこの歌を聴いた時、せつなさが込み上げて来ました。
帰る場所があるからこそ感じられる望郷の念もありますよネ。
私もそんな旅が大好きです♪
では、また。
よそ者として気楽な思いも時には必要ですものね。
でもやっぱり、ず~っと「よそ者」だと、今度は安住の地を求めてしまうのでしょうね。
ないものねだりをしてしまうのも、人間らしさでしょうか。
思うだけならいくらでも思っていいと思いますよ。
それでくよくよしたり、実際に逃げてしまうわけではないのだから、たまには、ね
そうですよね。旅行者は「よそ者」ですよね。
パっと来てパっと帰っちゃう
現実を忘れられる一番の場所ですよね。
>現実が存在しなかったら現実逃避もあり得ないわけだしね
その通りだと思います。
どちらかだけでは人は生きていけないんですよね。
2つとも大事な場所として、また頑張ります!
ミッチーさんはその土地にスっと馴染める方なんですね
でも道を聞かれるのは、やはりミッチーさんが
優しそうな雰囲気だからだと思いますよ。
そう言えば、この前東京で道を聞かれました!
でも思いっきり関西弁で「この辺の者じゃないので・・・」
と言うと納得したような顔で去っていかれました(笑)
>でも自分という人間を知っている人がいないから羽を伸ばせるっていうのもあるかな?
それはありますね~、いつもより積極的になれたりします
いつもと違う場所で違う時間を過ごすと
新しい発見があったり、日常の大事さを再確認出来たりしますよね
こちらの詩、素敵ですね。
帰る場所があるから旅立てる。
現実も現実から離れる時間もどちらも同じ位大事な場所ですね
次の旅までまた頑張ります
深く係わらず、ある時期だけで帰って行く。
それ程気楽な立場はないですよね
でもユーコさんの仰る通り、ずっと「よそ者」だと
寂しさを感じてしまったりするんでしょうね。
本当にないものねだりですね。
そんな風に感じてしまうのも「人間だから」ですよね。
現実もよそ者もどちらも大事な場所として
また頑張って行きま~す