死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

地獄は人間が出す悪想念の数だけ無数に存在している

2007-04-28 | 憑依霊がいちばん嫌がるのは「反省と感謝」
勇二 「なるほどね。じゃあ地上の人間に憑依してくる地獄霊っていうのは、そうした畜生道の動物霊とか色情霊の他にどんな霊がいるの? ていうか、「他にどんな地獄があるのか」って聞いたほうがいいかもしれないね」

正太 「まあ、今は「憑依」がテーマだから、つっこんだ説明は別の機会に譲るけど、他に有名なところでは「餓鬼地獄」というのがあるんだね。
 ここは、お腹だけがポコッと出て骸骨みたいにやせ細った人たちが、食べ物を奪い合っているような地獄なんだけど、これはどういうことかというと、食べ物で代表されるような「何か人から自分に与えてほしい」という気持ちの表れなんだね。「とにかく他人から何かを貰いたい、何かをしてもらいたい」という貪りの気持ちが強くて、いつも「満たされない」という気持ちで心が占められていたような人たちが堕ちる地獄なんだ。
 似たところでは「焦熱地獄」。ここも「他人に愛を与える」なんてことは忘れてしまって、「渇望」、つまり物欲が強くて、足ることを知らずに不足や不満ばかりを心に思って生きていた人たちが行く世界なんだ。そういう人たちの渇いた心、つまり他人に対して優しく、潤いを与えられるような心がなく、ひたすら「欲しい、欲しい」という渇いた心が、熱風が吹きつける灼熱の砂漠という心的風景をつくりだしているんだよ。
 それとか「擂鉢地獄」。ここも活火山の火口みたいなスリル満点の地獄なんだけど、ここに堕ちているのは、生前、愛や慈悲も無くて、他人を蹴落とすことばかりに執心してきたエゴイストたちなんだね。
 あとは、怒りの炎で他人を焼き焦がしてきた人たちが行く「火炎地獄」だとか、ペンペン草が生えているだけの真っ暗な砂漠で、歩いても歩いても誰とも会わないような「孤独地獄」だとか、人を言葉で傷つけたり、争いばかりして「闘争と破壊」に生きた人たちが堕ちる「阿修羅地獄」だとか、要するに、人間が出す悪想念の数だけ、マイナスの想いの数だけの無数の地獄が広がっているんだよ」

勇二 「うわーっ、そんななのかい。じゃあ、この世に生きている間、自分の心をきちんと正していくっていうのは、本当に大切なことなんだね。さっき君が言っていた「心の経営」っていうのは、本当に真剣に取り組まないといけないな」

正太 「そうなんだ。地上人生の目的は、「魂の修行」つまり「魂を磨き、高める」ということにあるんだけど、言い換えれば「心の運転技術を磨く」「心をコントロールする技量を高める」ということでもあるんだ。天使とか菩薩といった立派な人たち、高級霊というのは、たとえていえば「心の名ドライバー」「心のコントロールの達人」なんだね。逆に、地獄に堕ちた人というのは、この世に生きていたとき、心のハンドル操作を間違っていた人たち、「心の管理」に失敗した人たちなんだよ」