死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

反省によって「心の曇り」を取り去ることができる 

2007-04-18 | 反省によって「心の曇り」が取れる
正太 「ここまでは想念帯の灰色の記録を金色に変える、という点から反省の意味を説明したけど、反省というのは、それをすることによって「心の曇り」を取り去ることができるんだよ」

勇二 「心の曇りを取る?」

正太 「うん。マイナスの思いや行動をとっていると、今説明したように、想念帯の部分に灰色で記録されるんだけれど、それとともに、この想念帯じたいが曇ってくるんだね。ちょうど、ゴミやほこりがかぶったような状態になって、心そのものが汚れてくるんだ」

勇二 「ほーう、そういえば、愚痴ったり、カッカして怒っているときのことを振り返ると、「心が曇る」という感じは、なんとなくわかる気がするね」

正太 「うん。仏の心に反する思いを持つと、仏の光と反発して曇りができてくるんだね。しかし、反省をすると、そうした心の曇りを取り除くことができるんだよ。「心の浄化」ができるんだ。」

勇二 「というと、反省というのは「心の掃除」か洗濯みたいなものなんだね」

正太 「そうなんだ。ちなみに、マイナスの思いを持ったり行いをすると心が曇るんだけど、逆に、プラス、つまり善いことを思ったり行うと、仏の光が与えられるんだ。
 「与えた愛は与えた人のものになる」というのが、神様がつくった世界の根本の法則で、与えたぶんだけ与えられるんだね。与えられる、というのは与えた相手から与え返されるという意味じゃなくて、与えたぶんだけ、仏から光として与えられるんだね。その人の後光(オーラ)がそれだけ増えるんだよ。
 「与えただけ豊かになる」というのが霊の法則だから、愛多く生きた人というのは、霊的な目で見ると、身体全体が大小さまざまなダイヤモンドをちりばめたように光を放っているんだ。
 あの世の世界、霊界というのは、一番下の地獄は真っ暗で、天国でも上の世界にゆくほど光の強い世界になっているんだけど、その人の光の量が増えるということは、それだけ光の多い世界、高い世界に還っていける、ということでもあるんだよ」

勇二 「そうか。その人の光の量に相応した世界に還っていくわけだね」

正太 「うん。ただし、この愛というのも「量」だけじゃなくて「質」が問題で、与える愛のレベルによって、光の量というのはぐーっと違ってくるんだけどね。この辺は重要だから、後で詳しく話すけれども。
 だから、他人に「愛を与えよう」と思い、それを実践に移すと、仏から光が与えられるんだけど、反対に「人から愛が欲しい、欲しい」とか「愛を得たい、得たい」と思っていると、光は降りてこないんだね。逆に、心に執着をつくって真っ黒な曇りができているんだ。
 こんなふうに、善いことのほうが悪いことよりも多いと霊体に輝きが出てくるんだけど、善いことよりも悪いことのほうが多くなると、霊体が曇ってくるんだね。そして、この曇りをつけたままあの世に還ると、光の世界には還れずに、曇りの世界、つまり地獄という暗闇の世界に堕ちるというわけなんだ」

勇二 「なるほどね。前に、「一生の「思いと行い」をトータルして、善よりも悪が多いと地獄に堕ちる」ということを聞いたけど、善より悪が多くなると、光よりも曇りのほうが上回るから、霊体が輝きを失って、曇ってしまうということだね。じゃあ、地獄に堕ちる原因は、悪想念を出すことによってできた「心の曇り」とも言えるわけだ」

正太 「そうなんだ。この「心の曇り」というのが、まるで日傘でも差したみたいに、神仏の光を遮ってしまうんだよ。まあ、これも後で詳しく話すけど、地獄に堕ちる人というのは、あの世に還ってきたときに、天使とかが見れば一瞬で判別できるんだね。というのも、そうした人というのは、自分が出してきた悪想念の曇りによって、霊体が燻製みたいに煤けたようになっているんだ。霊体の輝きが全くなくなってしまっていて、切れた電球みたいに、真っ黒になっているんだよ」

勇二 「そうか、そんなになっちゃっているのか。心の浄化ってほんとに大事だな」