死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

人間が動物の姿に変化している「畜生道」とは?

2007-04-26 | 現代人が堕ちやすい畜生道と色情地獄
勇二 「そうか、祈りというのは電話をかけるのと同じなのか。じゃあ、電話番号を間違えないようにしないとね。「悪魔に直通」なんていうんじゃ怖いからね。…えーと、さっき、君は、動物霊の障りには二種類あるといったけど、もう一つというのはなんなのかい?」

正太 「うん。あの世の地獄界には「動物界」別名「畜生道」というところがあるんだね」

勇二 「畜生道? ああ、さっき君が言ってた、迷っている動物の霊がいる世界のこと?」

正太 「そうなんだけど、なんと、ここに墜ちている人間もたくさんいるんだよ」

勇二 「えーっ、人間が動物のいる地獄にいるわけ?」

正太 「そう、ここでは動物の姿をした人間がたくさん生活しているんだ。たとえば、芥川龍之介の小説で「杜子春」というのがあるけど、この中で、畜生道に墜ちた人間が描かれているんだね」

勇二 「杜子春って、たしか中学のとき国語の教科書に載ってたね。内容は忘れてしまったけど」

正太 「主人公の杜子春の両親が畜生道に墜ちていて、顔は人間なんだけど体が馬になっていたんだね。この地獄では、体が馬で顔が人間、体が豚で顔が人間といった姿になっていて、体だけでなく顔も動物に変わってしまっている人も数多くいるんだ。昔、人間だった老婆がそれこそ大蛇になってしまって、のたうちまわっていたり、そうした蛇たちがときどき地上に出ていっては、生きている人間の首や腰に抱きついたり、といった光景が展開しているんだよ」

勇二 「うーわ、まるでホラー映画の世界じゃないか。なんで、そんな動物の姿なんかに人間が変わってるのかね。あの世は、心がすべて、想念がすべての世界というから、この世で生きていたときに、なにか動物に近いような心で生きていたということなのかい?」

正太 「そうなんだよ。ここに墜ちている人たちというのは、この世にいたときに、人間としての心を見失って、動物のような生き方をしていた人たちなんだね。人間としての尊厳を忘れて、本能や欲望のおもむくままに生きた人たち、煩悩に振り回されて生きた人たちの末路なんだ。欲望のままに生きるような生き方は、動物の生き方と変わらないんだね。だから、そういう動物の姿をとって反省の期間を迎えることになるんだ」

勇二 「本能や欲望のままに生きた、…うーん、厳しいね」

正太 「たとえば、猜疑心が非常に強く、残忍で、執念深い人、しつこくしつこく人を妬み、恨んでいる人、あるいはお金に執着して他人に意地悪をしつづけてきたような人は、体が蛇のようになっているし、人を騙すことばかりに汲々として、自分だけの利益を考えているエゴイストは狐の姿になっているんだね。また貪りの気持ちが強かった人や、怠惰な生活をしてゴロゴロしていた人なんかはブタの姿に変わってしまっているんだ。結局、「品性の低さが人間の姿を動物に変えてしまう」ということなんだよ」

勇二 「ふーむ。でも、心のあり方しだいで、変化する動物の姿が違ってくるというのはどういうことなんだろう?」