清水じょうしんぶろぐ

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各国の選手達の活躍に期待したいと思います。

2021年08月26日 04時55分07秒 | 近況報告

皆さんおはようございます。

三徳山は曇っています。

気をつけてお出かけ下さい。

 

さて、パラリンピックが開会されました。

選手の皆さんの活躍を見る度に、うれしく応援しています。

 

さて、皆さんはパラリンピックの歴史はご存じだったでしょうか。

私も最近調べて知ることができました。

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パラリンピックの起源は1948年、医師ルードウィッヒ・グッドマン博士の提唱によって、

ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院内で開かれたアーチェリーの競技会です。

第2次世界大戦で主に脊髄を損傷した兵士たちの、

リハビリの一環として行われたこの大会は回を重ね、

1952年に国際大会になりました。

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もともとは、負傷した兵士のリハビリだったとは知りませんでした。

第一回のパラリンピックは、1960年に、グットマンを会長とした国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織され、

この年のオリンピックが開催されたローマで、第9回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された。

この大会が現在、第1回パラリンピックと呼ばれています。

 

 

この第1回パラリンピックには、23カ国 400名の選手が参加したわけですが、

日本は不参加でした。

そして、4年後の1964年の東京オリンピックで、日本が初めてパラリンピックに参加しました。

期間は1964年11月8日から12日まで開催されました。

 

 

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日本に障害者スポーツを普及させた立役者が、国立別府病院の中村裕(ゆたか)である。

中村は、パラリンピックの源流となったストーク・マンデビル競技大会を創設した、

ストーク・マンデビル病院(英国)のルードヴィッヒ・グットマンのもとに1960年に留学し、

彼のスポーツを取り入れたリハビリテーションを学んだ。そして帰国後の61年には、

大分県身体障害者スポーツ大会を開催している。

この中村とグットマンの出会いが日本にパラリンピックを呼び込んだとも言える。

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大会の象徴であるマーク(パラリンピックシンボル)は、

人間の最も大切な3つの構成要素「心(スピリット)・肉体(ボディ)・魂(マインド)」を赤・青・緑の三色で表しています。

これにも、いろいろと歴史があります。

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1988年のソウル大会で初めてこの旗が使われたときには、青・赤・黒・緑・黄の5色であったが、

オリンピック旗と区別するために、1994年リレハンメルパラリンピックから3色の旗に変更された。

そして、2004年アテネパラリンピックから3代目となるロゴに変更され、現在に至っている。

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いろいろな方の努力が、現在のパラリンピックの歴史になっています。

 

各国の選手達の活躍に期待したいと思います。

 

東京での開会式でも、たくさんの方が見学に来られた事が、ニュースになっていました。

 

では、明日も、あなたにとって良い日でありますように。

ツイテル。ツイテル。

ありがとう。感謝。感謝。

喜べば、喜び事が、喜んで、喜び連れて、喜びに来る。