気ままなひとこと

折々にふれ、思いつくままに、気ままに書き留めるBLOG

これは便利、ブラウザーのアドオン Auto Pagerize

2015-01-29 13:09:35 | デジタルライフ
日頃インターネットのブラウザーの拡張機能にはそれほど関心がないので、余り多くは使っていませんが、先日、日経デジタルで、ページ送りを自動化するという追加機能を見つけたので試してみました。Google Chrome用とFirefox用があるとのことで、私はFirefoxを使っていますので、Firefoxのアドオンページからリンクを辿ってインストールするだけ、何の設定もなし。


使ってみて、これは便利です!
長い記事だと複数ページとなり、次のページをクリックしなければならないことがよくあります。日経デジタルの場合、コラムなどの読み物記事は殆どが複数ページなので、いつも「次へ」をクリックしていました。
 BEFORE

それが、このAuto Pagerizeアドオン機能を加えると、
 AFTER
こんな風に、次のページがページ番号表示に続いて自動的に表示されるのです。クリックなしに、スクロールしていくだけで読み進められるのは、とてもスムーズです。

まあ、些細なこととも言えなくもないですが、でも気に入りました。

電子書籍&印刷本

2015-01-23 13:23:54 | 読書
電子書籍のキンドルを購入したのは一昨年6月でした。1年以上使ってみて、印刷物との違いが分かってきました。しばらく前に新聞で見た記事に、「本は所有するものから、体験するもの」に変わりつつあるという論評がありましたが、電子書籍は正にこの潮流そのものであり、体験型だと思います。体験環境として、文字フォントやサイズを視覚的に見易いものに選択出来るということは何よりのメリットです。分からない言葉を指一本で辞書検索出来ることも便利。

しかし一方で、物理的に見られない・触れないという点では、どうしても印刷された本に及ばない面もあります。「本」というものは、これまで当たり前でしたが、机に置けば表紙が見える、本棚に立てかけても背表紙で題名が分かる、読みかけの本を開けば、どの位読んだか、残りがどの位かが視覚的に分かります。読むという体験の前でも後でも、常に本を所有しているという感覚も印刷本の楽しみの一つということに、電子書籍と比較して初めて気付きました。キンドルの中に内蔵されているものは、あくまでコンテンツであり、本を持っているという気分にはなれません。

というわけで、それぞれの特徴を理解して、本によって使い分けて(読み分けて?)読書を楽しんでいます。この1年で読んだものを振り返ってみると:

キンドルで読んだ主要電子書籍:
印刷活字サイズが小さく読み難い古典もの:クリスマス・キャロル、ロビンソンクルーソー漂流記、ガリバー旅行記、黒田如水(吉川英治)など著作権の切れたものは、無料または安価で読めます。
ボリュームが膨大なもの:聖書(旧約、新約)を車内で読めるとはデジタル化のおかげ様様。
本棚を整理して電子版に替えたもの:三浦綾子の著作は全てデジタル化されたので、少しずつ。

家族や友人達と回し読みしたいものは印刷本:
みをつくし料理帖シリーズ(高田郁)、ニューヨークの魔法シリーズ(岡田光世)、守り人シリーズ(上橋奈穂子)、炎立つ全5巻(高橋克彦)
読後も本棚に残しておきたいもの:イタリアやフィレンツェに関するもの
電子化されていないもの:フリードリッヒ二世(塩野七生)、イタリアものなど。

そんな中で、デジタルと印刷本の両方を読んで比較したものがあります。「物語・イタリアの歴史」(藤沢道郎著)のI(印刷本)とII(デジタル)です。同じ中公新書ですが、Iは大分前に印刷本で読んでいたのですが、IIを読もうとした時に、同じシリーズなら比較しやすいだろうと思ってデジタルにしました。
夫々の表紙

1ページの比較

部分的に比較したもの
デジタルでの文字フォントはゴシック体で、サイズは8段階の中で大きいほうから4番目です。見やすさと1ページの収まるコンテンツ量のバランスの観点から、この設定にしています。

コンテンツとして読み易いのはデジタル、本として本棚に所有する満足感は印刷本ですね。選択肢が広がることは本当に有難いこと、ことに視力の老化を感じている身としては(苦笑)。

「飲みやすい」?

2015-01-17 11:35:18 | 言葉
毎朝の連続TV小説「マッサン」で「飲みやすいウィスキー」という言葉が何度も登場してきます。日本酒や焼酎しか口にしたことのない日本人は、初めてウィスキーを口にしたら、まずいというのは当たり前のことでしょう。そんな時代にウィスキーを売り込むには、本物のスコッチウィスキーの味ではなく、当時の日本人の口あうように「飲みやすく」しなければならなかったでしょうから、尤もなことだと思います。

「飲みやすい」とは、このように、本来飲み難いものを飲めるようにしたものと理解しています。例えば、お酒に弱い人がウィスキーを飲むために水で割る、お酢が健康にいいけれど酸っぱくてそのままでは飲めないので、蜂蜜を足して飲みやすくする。その結果として「飲みやすく」なるわけですから「飲みやすい」は決して褒め言葉ではないと思います。

ですが、BUT & HOWEVER、世間では多くの人が、薄味、サッパリ味のものを飲みやすいと表現することが多いようです。低価格で味にこだわりなく大量販売するものなら、それで構いませんが、作り手が丹精こめて「爽やか味」にしたものを、飲みやすいと表現するのは失礼ではないでしょうか。酒の席やTV番組などで、美味しい筈のお酒を「飲みやすい」と表現されると、どうも心穏やかでなくなってしまいます。飲みやすい、飲みにくいという基準でお酒を語るなら、お酒が好きでもない人は無理して飲まなくていいよ、美味しいのだったら、せめて、口当たりがスッキリ、まろやか、スムーズ、サッパリ爽やか味とか、色々と言いようが在るでしょ・・・こんな批判の言葉が出てくるのは、角が尖ってきた老化現象かもしれませんね(苦笑)

初めての辻井伸行コンサート

2015-01-12 12:54:58 | 音楽・映画
一昨日、長年の待望だった辻井伸行のコンサートに初めて行ってきました。
会場はサントリーホール、演目はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、素晴らしかったです!
 
TVでは彼の特集が何度も放映され、この年末年始にも再放送を含めて見ていますが、やはりライブ演奏の素晴らしさに圧倒されました。彼の演奏の仕方というか、鍵盤上での指の動きは何度もTVで目にしてはいるのですが、生で見るとスゴいですね。席は二階の左側で辻井君の右斜め後方から見る位置でしたが、指の動きがTV画面でアップした時以上に生き生きと目に入ってきました。40分弱の演奏ですが、大変なことをしていることが視覚的に強く感じられました。

帰宅して、記憶(それとも興奮?)の冷めないうちにと思って、彼の同じ演目の演奏をCDで聴き比べてみました。当たり前のことですが、全く違いましたね。ピアノ演奏としては、CDのほうがまとまっているようで(素人が勝手な表現ですが)、演奏会では多少荒っぽいというような印象もあったのですが、演奏会現場では彼のエネルギーが溢れてくるような、そんな感じすらありました。静かなパートになるとCDでは私には印象が弱まるのですが、コンサートでは、その静かなパートを柔らかく丁寧に弾いていることが視覚を通して伝わってきました。CDとコンサートの違いを改めてひしひしと感じさせられました。

演奏とは別に彼の動きも印象的でした。
視覚障害のせいなのでしょうが、頭をよく動かすスタイルはTVで見ているものですが、指揮者&オーケストラと協奏していることがよく伝わってきました。演奏終了後には余韻にひたることなく、直ぐに立ち上がってお辞儀するのも彼のスタイルですが、お辞儀の深さは驚かされます。他の人を見てのものではない筈ですから、親に言われたのか、小さい頃からの習慣なのでしょうね、見ていて大いに好意をいだかせるもので、ますます辻井君のファンになりました。

アンコールもよかった。彼の自作のものと想像していたのですが、そうではなく、ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」の中で最もポピュラーな18番でした。私も大好きな曲なので、とても嬉しかったです。

機会があったら、是非、また辻井君のコンサートへ行きたいです。それと、映画音楽ではなく、クラシック音楽の世界での彼の今後の益々の活躍を期待しています。

自閉症少年の心を覗き見る本

2015-01-08 14:25:46 | 読書
最近、貴重な本に出会いました。本のタイトルは「自閉症の僕が飛びはねる理由」、サブタイトルに「会話のできない中学生がつづる内なる心」とあるように、当時15才の自閉症の中学生が、自分の気持ちを文字にして言い表したものです。スペシャルオリンピックスを通じて自閉症の障害者に接することがありますが、知的発達障害という言葉だけでは理解が難しい行動がよくあります。ボランティア仲間と話しても、我々には理解できないものがあると決めつけていましたが、この本を読んでみて、それぞれの行動にそれなりの意味があるということ、少しばかりですが知ることが出来ました。

自閉症の多くの人はコミュニケーションが得意でなく、様々な感情や行動の裏にある想いを伝えてくれることが稀です。この本が“貴重”というのは、そのような中で、勿論、全ての自閉症障害者に当てはまるとか、汎用性のあるものとは思いませんが、それでも、彼等の心の一部を伝えてくれるからです。言葉について、対人関係について、感覚の違いについて、興味・関心について、活動について、という5章建てで完結に語ってくれています。例えば:

電車の車中などで大きな声を耳にすることがあります。なぜ大きな声が出るのかということに関しては、出したくてというわけではなく、コントロール出来ずに、反射的に(その時見た者や思い出したことに対して)大きな声がでてしまう。自分で分かっていても止められず、無理に止めようとすると非常に苦しくなる。自分自身、奇声を上げて恥ずかしい思いをしたことが何度もある。・・・分かっていても自制出来ないことは辛いでしょうね。

また、声をかけられても無視するのは、気付かないから。声だけで人の気配を感じたり、自分に向けられた言葉だと理解するのが難しい。だから、声をかける前に名前を呼んで本人が気付いてから話しかけて欲しいそうです。我々がぼんやりとながらも、周囲の人々や状況を感じていることを当たり前と思っていますが、自閉症の人々には当てはまらないということも、知っておくべきことの一つなのですね。

この本では、自閉症障害のある人は全般的に物事を広く見たり考えたりすることが苦手であり、言葉や行動が頭で考えるとおりにはコントロール出来ないことが多いと著者は言っていますが、決して知能的に劣るというものではないように思えます。勿論、自閉症の中でも個人差は大きいでしょうが、何よりも、コミュニケーション出来ないことが難しさのもとになっていることを痛感します。

最後にある短編小説はスゴい作品で、知的発達障害ということは全く感じられませんが、そこにある優しさは、自閉症をもっているからこそという面もあるかもしれません。著者の東田君は7年前、15才の中学生の時にこの本をまとめ、以降、何冊もの本を出版しており、また自分のホームページがあり、ブログも続けています。私には想像のつかない大変な苦労を重ねてこれだけの表現が出来るようになったのだと思いますが、彼に倣っていく障害者の方が出てくることといいですね。一人でも多くの人々が障害者の思いを知ることで、少しでも心のバリアフリーな世界に近づくように。

「自閉症の僕が跳びはねる理由」東田直樹著。
(株)エスコアール出版部・1,600円。
アマゾンで取り扱っています。

東田直樹オフィシャルサイト:http://naoki-higashida.jp/

謹賀新年

2015-01-03 15:17:51 | 家族
新年を迎え、今年も平和な三が日を過ごしています。
元旦の日は、お嫁さんと孫娘が体調を崩したので来られず、こちらから、おじいちゃん手製の離乳食を届けました。離乳食といっても日頃からよく作っている野菜スープベースのものを孫娘用に野菜はポテト、タマネギ、カボチャだけ、味付けは一切加えず野菜味だけというシンプルなもので、舌で潰れるほどの柔らかさまでコトコトと煮込んだものです。

孫娘は直ぐに回復したようで、美味しいかどうかは別として、ともかく自分のお母さんがダウンしている状況では止むを得ず(?)か、口にしたようです。息子が送ってくれた写真なので状況は不明ですが。

というわけで、元旦の宴は次男と我々夫婦の3人だけでしたので、静かにゆっくりと、おせち料理を味わいました。ゆっくりし過ぎて、今年は記念写真を撮り忘れました。

昨日、今日は夫婦二人だけで静かなので、何か今年の抱負をと考えているのですが何も思い浮かばず。事始めの昨日は、取りあえずイタリア語の自習をしてみましたが。何でも、チョットでも好きなことをとにかく始めたらと、次男にもけしかけられたのですが。考えているだけでは始まらない、嫌だったら止めてもいいし、ともかく何か行動を起こしたい・・・というのが新年の豊富、今年の目標です。年末に振り返った時に、何か書くことがあるといいなと思っているところです。

そして、何よりも、家族、親戚、友人、知人、皆が一日一日を元気に、楽しく過ごすことが出来ますように願っています。