一般の大学の教職課程に現場(学校)実習があるように、キリスト教の牧師を育成する神学校にも夏期実習があり、今年も私の通う教会に実習生が来ています。今日の礼拝ではその神学生(今年は珍しく若い!)が説教をしました。
「謙虚な心や親切心はクリスチャンにとって大切なものです。しかし、それらは努力して、頑張って身に付くというものではありません。自分自身の罪を見つめ、悔い改め、神に告白し、へりくだって神の憐れみを祈ることです。簡単に得られるものではないので、ただひたすらに祈り続けることで、いつか知らぬ間にそのような心になるというものではないでしょうか。」
『神の求めるいけにえは、打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。』(詩編第51章)
何の屈折もなく、明るく穏やかに語りかけてくれました。イエス・キリストの福音を素直に信じきっていればこそ伝えられるメッセージなのだと思いました。今朝は曇り時々雨という鬱陶しい天気でしたが、爽やかな説教のお陰で気持ちが晴れました。残念ながら、この福音が私の身に現れるのは、いつになることか分かりませんが・・・どうやら年齢とは関係ないようなので(苦笑)
「謙虚な心や親切心はクリスチャンにとって大切なものです。しかし、それらは努力して、頑張って身に付くというものではありません。自分自身の罪を見つめ、悔い改め、神に告白し、へりくだって神の憐れみを祈ることです。簡単に得られるものではないので、ただひたすらに祈り続けることで、いつか知らぬ間にそのような心になるというものではないでしょうか。」
『神の求めるいけにえは、打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。』(詩編第51章)
何の屈折もなく、明るく穏やかに語りかけてくれました。イエス・キリストの福音を素直に信じきっていればこそ伝えられるメッセージなのだと思いました。今朝は曇り時々雨という鬱陶しい天気でしたが、爽やかな説教のお陰で気持ちが晴れました。残念ながら、この福音が私の身に現れるのは、いつになることか分かりませんが・・・どうやら年齢とは関係ないようなので(苦笑)