気ままなひとこと

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「みをつくし料理帖」完結!

2014-08-14 15:43:08 | 読書
ついにというか、とうとうというか、大好きな「みをつくし料理帖」の第10作が完結編として出てしまいました。前作で8月に完結編と予告されていたので、これまでの9冊を読み返し、完結編を楽しみに待っていました。と同時に、このシリーズが終わりになってしまうことには寂しさもありで、待ち遠しいような、待ち遠しくないような想いもありました。とは言え、書店の店頭で見つけた瞬間、即、手に取り、レジに向かってしまいました(笑)。

第10作のタイトルは“天の梯”(「てん」ではなく、「そらのかけはし」と読むそうですが、完結編に相応しい)と表紙の装丁がピッタリ合っています。
このシリーズを通してですが、著者の高田郁さんは漢字の使い方が上手い!“料理帳”ではなく“料理帖”、今回のタイトルも“架け橋”ではなく“梯”、漢字の使い方に詳しくない私ですが、漢字の見た目からくる印象の違いは感じます。北極星のことだそうですが、“心星(しんぼし)”と書くと、同じ星が現代の星座の中ではなく、江戸の町から見上げる、何か特別な星のように思えてきます。

ほかにも:
「小走りになる娘の項を、唐梅匂う風が、さらりと撫でて追い越して行った。」
「刹那、澪は双眸を見開いた。」
項(うなじ)や双眸(そうぼう)など、現代から小説の舞台に読者をタイムスリップさせるような漢字を使うことが多い。
また:
「東天高く輝く孤高の月が、溢れ出す想いに耐える娘を慎み深く照らしている。」
「ふたりは暫し無言で互いを見つめ合った。二年の歳月が、小松原と澪の間に優しく降り積もる。」
「天の低い位置にある陽が、相手に伝えるべき言葉を探しあぐねる不器用なふたりを明るく照らす。」
こういった、正に高田郁の世界とも言うべき表現が、シリーズを通して随所に溢れていることも、この本の魅力の一つのように思えます。

さて、肝心のストーリーですが、完結編に相応しい展開に驚きました。ここまで、澪にはどのような料理人を目指すのか、恩義のある天満屋一兆庵を再建どう再建するのか、そして、幼馴染の野江ちゃんを吉原から救い出すことが出来るのか、という三つの課題があり、読者として、最後の一冊でそれらを全て解決するとはとても思いも寄りませんでした。それが、実に巧みであり、且つ、感動的な展開でもって完結させるとは、実に見事!

澪の目指す料理人とは「食は人の天なり」:
「料理はひとの命を支える最も大切なものです。だからこそ、贅を尽くした特別なものではなく、食べる人の心と身体を日々健やかに保ち得る料理を、私は作り続けていきたい。医師が患者に、母が子に、健やかであれと願う、そうした心を持って料理に向かいたいのです」
残りの二つの課題についてはここでは控えておきます。

5年間、本当に楽しませていただきました。著者があとがきで、しばらくしたら“登場人物のその後“といったものを書きたいと言っていることに期待しています。