竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

英霊の言乃葉 人生二十年

2018年08月16日 | 英霊の言乃葉
平成30年8月16日(木)
お早うございます。

今日は久しぶりに「英霊の言乃葉」を紹介いたします。

<人生二十年>
海軍大尉 牧野 該 命 神風特別攻撃隊第六神剣隊 昭和20年5月11日 南西諸島方面にて戦死
明治大学 石川県金沢市成瀬町下町出身 二十三歳

出撃の前日
御父上様、御母上様人生わづか五十年とは昔の人の言う言葉、今の世の我等二十年にしてすでに一生と言い、それ以上をオツリと言う。
まして有三年も永生きせしはゼイタクの限りなり。
いささかも惜しまず、笑って南溟の果てに散る。
また楽しからずや。
金沢の備中町、材木町小学校の頃、一月おきぐらいに病気をして弱かった頃、また、千葉の家の前のグミの実など、
潮干狩りのこと、新潟の永き思い出・・・明大に於ける生活、下宿、岐阜のことと、寺の娘、釣りのこと、
いろいろと断片的に思い出されなつかしく、目を閉じれば眼前に浮かび上がります。
ただただ御両親様の御健康を祈るのみ。
お父上様の例の御病気(何でもこはす短期病)は今後お慎み下されたく、
御母上様の御心痛察するにあまりあり。
一緒に死ぬのは斉藤幸雄一等飛行兵曹とて、二十一歳の少年?かわいい男です。
何処か私をしたって大部前から一緒に飛んでいますが死ぬのも一緒です。

出撃の朝
散歩に行くような、小学校の頃遠足に行くような気持ちなり。
〇三〇〇朝めし。
すしを食った。
あと三時間か四時間で死ぬとは思えぬ。
皆元気なり。


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