竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

英霊の言乃葉 遺 書

2021年04月21日 | 英霊の言乃葉
令和3年4月21日(水)
お早うございます。

今日は久しぶりに「英霊の言乃葉」を紹介いたします。
<遺 書>
陸軍少尉 高須 孝四郎 命 神風特別攻撃隊第七御楯隊(みたてたい) 
昭和20年8月9日 本邦東南方洋上にて戦死 
愛知県幡豆郡一色町(ブラジル出身) 二十三歳

攻撃直前記す
御姉上様。合唱。最後に当り何も言うことはありません。
僕が常夏の国南米ブラジルより日本に帰って、何もにらない僕を、
良く教へ導いて下さった事は、心から感謝して居ります。
身を海軍に投じて以来の未知の生活、日本の兵隊生活は最後の魂の道場でした。
海軍に入営してより、日夜の訓練によって身心共に磨き清めて来ました。
今君国の為に散って行く私です。
日本に帰る時に母様より呉心も言われた事、
頼まれた事を果さずに散ってゆくのは心が残ります。
最後に年老いたる両親に迷惑をかけた事を深く悔やんでをります。
今私は澄んだ気持ちです。
白紙の心持です。・・・・・・
御両親、肉親の写真を胸に抱いて・・・・・・
皆々様もお元気に。
では私は只今より攻撃に行きます。
姉上様
再合唱

【第七御盾隊】
特攻隊編成前の昭和20年5月、香取基地での光景。
原隊である七五二空攻撃第五飛行隊装備機で、のち第七御盾隊流星隊装備機となる流星改艦攻。
七五二空攻撃第五飛行隊は木更津に移動し、7月25日、特攻隊が発足した。
この日から終戦まで四次にわたって本州沖の敵機動部隊攻撃に出撃した。

御盾隊(みたてたい)の由来
御楯隊(みたてたい)は、幕末期に長州藩で結成された長州藩諸隊の一つ。
元治元年(1864年)結成。
元治元年(1864年)8月、禁門の変に破れた太田市之進、山田顕義、品川弥二郎らが中心となって結成。総督は太田市之進、隊士230名。三田尻を屯所とする。
御楯隊の調練場であった防府市の防府護國神社境内の桑山招魂場には、御楯隊戦死者の慰霊碑がある。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 令和3年3月定例会 竹内しげ... | トップ | 愛知万博思い出の記録 其の四 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

英霊の言乃葉」カテゴリの最新記事