竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

岩津松平家

2018年08月17日 | 十八松平家
平成30年8月17日(金)
お早うございます。

今日は、岩津松平家 (いわつまつだいらけ)を紹介いたします。
<今までの投稿>
十八松平家・・・平成25年10月16日
竹谷松平家・・・平成25年10月26日
安祥松平家・・・平成25年11月16日
形原松平家・・・平成26年 1月 2日
大草松平家・・・平成26年 2月25日
五井松平家・・・平成26年 4月16日
深溝松平家・・・平成26年 9月30日
能見松平家・・・平成27年 7月 8日
長沢松平家・・・平成27年10月 2日
大給松平家・・・平成28年 3月29日
滝脇松平家・・・平成28年11月12日
福釜松平家・・・平成29年 4月12日
桜井松平家・・・平成29年 6月30日
東条松平家・・・平成29年10月17日
藤井松平家・・・平成30年1月22日

岩津松平家 - 安祥松平親忠の長男松平親長の流れ。三河額田郡岩津(愛知県岡崎市岩津町)を領した。

岩津松平家 (いわつまつだいらけ)とは、室町時代(15世紀)に西三河地方に分出した松平氏の一流。
古文書における関係人物の表記で、岩津は岩戸とも表記されている。
三河松平氏の宗家2代目当主とされる松平泰親が岩津城(岡崎市岩津町東山(城山))を本拠にしたのに始まる。
その後、信光・親長と継承されたが、今川氏の岩津城攻撃を受けて衰退し、松平氏庶流の安城松平家が岩津家に代わって惣領家化した。
その後、岡崎の宗家第八代(安城家の五代目)・広忠の代には岩津家の跡が絶え、三木松平家とされる信孝によって遺領が押領されたという。



岩津城は岡崎市北部、平針街道と足助街道が合流する岩津の町の東、 標高74mの小高い山にあります。
この小高い山のすぐ西側を矢作川が流れ、 要所に築かれた山城です。


岩津城縄張図
愛知県中世城館跡調査報告書Ⅱ(西三河地区)より 原図:奥田 敏春 氏
この縄張りからは戦国時代後期とも推測され、1585年(天正13年)頃に家康と秀吉の間で緊張が高まった際に整備された可能性もあるそうです。
(岡崎市史より)
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