竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

形原松平家

2014年01月02日 | 十八松平家
十八松平家・・・平成25年10月16日
竹谷松平家・・・平成25年10月26日
安祥松平家・・・平成25年11月16日

今日は、形原松平家を紹介したいと思います。
 形原松平家(かたはらまつだいらけ)は、松平信光の四男与副(与嗣とも)を祖とする松平氏の庶流。三河国宝飯郡形原(現在の愛知県蒲郡市形原町)を領したことから形原松平家と称した。

 宗家の家康へ従うようになったのは4代家広のときからで、家広とその子・5代家忠は長篠の戦い、6代家信の小牧・長久手の戦いや小田原征伐での功績が著しく、元和4年(1618年)、家信の頃に故地三河国形原藩1万石の大名となる。その後、元和5年(1619年)に摂津国高槻藩2万石への移封、寛永12年(1635年)に下総国佐倉藩4万石への移封、寛永17年(1640年)に高槻藩に3万6千石での再封、慶安2年(1649年)に丹波国篠山藩5万石への移封を経た。しかし、11代信岑が享保の大飢饉のさなかに重税を課し、領民から反発を受けて寛延元年(1748年)に丹波亀山藩5万1千石に移封され、そのまま幕末まで存続した。


丸に利の字
丸に八つ丁子






形原城 遠望   


形原城址の碑 

形原松平家について
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