竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

吉田松陰の名言  ” 小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である・・・”

2021年10月31日 | ことばのちから
令和3年10月31日(日)
お早うございます。

12日間の衆議院選挙戦も昨日で終わり、今日は投票日です。
投票時間は、午前7時~午後8時までです。
皆さん投票に行きましょう!

今日は言葉のちから、"吉田松陰の名言を紹介いたします。
小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。
人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。
死生は度外に置くべし。
世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。
武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。
心懐爽快ならば人間やつれることはない。

すぐれた人間は、徳や義理の心がないことを恥じ、つまらない人間は、名誉がないことを恥じる。
すぐれた人間は才能がないことを恥じ、つまらない人間は官位や俸禄が低く、少ないことを恥じる。

 つまり、この一節は、孟子の「恥」についての二つの文章をうけて松陰が書いたもの。
一つ目は「人は恥ずる心がなくてはいけない。恥ずる心がないことを恥じれるなら、恥じる必要はない」。
二つ目は「恥じることは人にとって重要なこと。その場のがれで言い訳ばかりする者は、恥じる気持ちがない。自分が人に及ばないことを恥じない者は、人並みの人間になることはできない」。
恥じることが、人にとってどれだけ大切かということである。

 孟子(紀元前372年―紀元前289年)は「羞悪の心(悪を恥じる心)がないのは、人間でない」(『孟子・公孫丑上』)と言った。孟子は性善説を唱え、人は生まれつき、哀れむ心、恥じる心、謙虚の心、是非の心を持っており、これらは仁、義、礼、智の芽生えである。これら人類にしかない善の性は畜生には備わっていない。人は悪を恥じる心があって初めて名利を前にして立派な節操を現せるのである。
 孟子はまた、「人は恥知らずではならず、恥知らずの恥こそ、恥知らずなり」(『孟子・尽心上』)と言った。すわなち人は恥をなくしてはならない、恥知らずという恥は本当の恥知らずである。
 自分の不足を認めるのは容易なことではない。人が自分の不足を恥と感じ、改正する勇気があれば、まだ救いがある。恥を恥と思わず、かえって自慢に思っていたら救いのないことだ。

”恥はずること無なきを之これ恥はずれば、恥はじ無なし ”

 孟子(もうし、紀元前372年? - 紀元前289年?)は、中国戦国時代の儒学者、思想家。姓は姫、氏は孟、諱は軻か、字は子輿しよか。亞聖あせいとも称される。「子」は先生という意味で尊称。孔子の孫である子思の門人に学業を受けたとされ、儒教(特に朱子学)では孔子に次いで重要な人物とされる。そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。
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