竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

総務委員会 行政視察  (浦添市)

2013年07月12日 | 行政視察&要望活動・研修勉強会
7月 9日(火)浦添市・・・第5次総合行政システム事業




沖縄県浦添市・・・人口11万2千人


浦添市の町並


<浦添市>
 那覇市、沖縄市、うるま市に次ぎ、沖縄県第4の規模を持つ市である。全国でも高い出生率を誇り、那覇市と隣接するため人口増加が著しく、人口密度は5,694人/km²(2007年3月31日現在)と県内では那覇市に次いで2番目に高く、全国でも鉄道路線の通っていない市町村では1番高い。県内でも有数の商業、工業が活発な市である。
 琉球王朝発祥の地であり、「津々浦々をおそう(諸国を支配する)」という意味で、それが「ウラオソイ」、されに転じて「ウラシイ」となり、現在のような「浦添」の文字が与えられたとされている。
 12世紀から14世紀の約220年間、浦添城(現在は浦添城址)を中心に琉球王国の首都として栄えた。その時の王「英祖王」の父が太陽であったという伝説があり、それにちなんで沖縄の方言で太陽を意味する「てぃだ」と、その太陽の子供を意味する「こ」を合わせ「てだこ」と呼ばれる。それにより別名「てだこの街」と呼ばれることもあり、行事などにもその名称をつけることが多い。
 沖縄戦では同市から宜野湾市にかけて、中央司令部であった首里城を守るため攻防戦がはられたため激戦地となった。戦後、西海岸地区は米軍基地となっている。
 また、2004年1月にハンドボール王国都市宣言を行い、市内の全公立小中学校にハンドボール部があるなど、日本でも有数のハンドボールの盛んな土地である。


平成25年度 総務委員会のメンバー


浦添市 名護正輝副市長さんへ表敬訪問


続いて又吉正信議長さんに表敬訪問させて頂きました。


第5次総合行政システム事業の視察冒頭で、総務委員長の役目の一つとして、お礼の挨拶を致しました。


勉強会場の風景

















蒲郡市と浦添市の友好関係は愛知県が昭和37年に愛知県出身の将兵の霊を祭る”愛国知祖の塔”を浦添市に建立したのがきっかけとなり、昭和41年蒲郡市が、愛知県から行政事務合理化実施市として浦添市に紹介されて以来、本土復帰以前の米軍統治下における厳しい渡航制約の中を、事務研修として職員が蒲郡市へきたのが交流の始まりです。
更に、昭和47年5月に本土復帰以来、両市の市長、議員らの視察、また浦添市の児童が來蒲し、スポール交歓会を開くなど産業及び教育面にも交流が行われてきました。
そして、昭和56年11月4日蒲郡市民会館において友好都市連携の調印式が行われました。

同じ新人総務委員長として、真栄城玄誠委員長さんに再会できた事がとてもうれしかったです。ひざを付き合わせた交流が出来たと思っています。・・・1500k離れた友人との又の再開を願って、浦添の夜が更けました。!!!





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