しげじいの雑記帳

あんなことこんなこと、老いの生活を思いつくままに、、、、

授業料

2024年06月29日 | 日常雑記

  天皇陛下の英国ご訪問時のご挨拶、陛下のお言葉をお聴きして思いだしたことば、T・カーライルの名言『経験は最良の教師だ。しかしその授業料はいつも高すぎる』。ウイキペディアからの数字では『第二次世界大戦における連合国枢軸国および中立国軍人民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる[1]。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった』とある。

 過去も今も、「高い授業料」を払ったのに、そこから得た教えを学ばないと思うような「こと」が次々と起こる「人間社会」。過去の人間の歴史を見て思うのは、これからも繰り返し「争いは起る」必ず起こるだろうと。

 あの戦争を経験した世界の国々は勿論、この国も戦後80年も過ぎた。戦前戦中戦後の苦しい時代を生きた「人間」は数を減らし、戦後生まれの世となった。今生きている人達は「高い授業料」を払った人達ではない。争いの無い「平和であることの有難さ」、この思いは授業料を払った払わなかったかで違わないのだが、残念だが違うようだ。悲しいかな、人は歴史に学ばない、でなく学ぼうとしない。いま「イスラエルとハマスの争い」「ウクライナ戦争」を見る、始めた理由は何とでもいえる。イスラエルの「ベンヤミン・ネタニヤフ 」もロシヤの「ウラジミール・プーチン」も戦後生まれ。悲惨なあのホロコーストと悲惨な対独戦争を経験していない「歴史から学ばないひとり」。

 国家対国家の問題はさておき、歴史ある会社も苦境の時代を経ている、個人は「苦労」という「高い授業料」を払って成長する。会社を組織するのも「法人格を持つ人」、総ての組織は「ひと」の集まり。構成する一人ひとりの「苦労」の積み上げであると言っても良い。

 「苦労は買ってでもしろ」と言ったのは誰だか知らないけど、社会に受け入れられた企業の過去を見れば多くの会社は一度や二度は倒産の危機を努力と知恵で克服して今がある、苦労して変化でき生きて来た。一度出来上がった会社風土を変えるのは至難の業、会社組織の守りに入ったら、社会の変化に対応できなくなる、結果は社会の進歩に取り残され、この社会から消えていく運命にある。

 ・朝起きたら外は小雨、散歩に行けない、、、暇な老人は、暇なりに何かを想う、長々と「饒舌」を繰り返したような言葉の羅列になった、、

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