お宿のチェックインまで時間があったので、近くにあった白鳥城跡を散策してみた。
富山市の紹介文です。
城は、上杉謙信の越中進攻時、神保長職が築城した(『越登賀三州志』)とも、天正6(1578)年神保八郎左衛門が居住したとも伝えます。
神保氏は戦国期に射水・婦負郡に勢力を有した国人で、富山城を築いた天文12(1543)年頃に、その詰城として白鳥城が築城されたと推測されます。
天正13(1585)年には富山城に拠る佐々成政を討伐するため、羽柴秀吉が本陣を置き、丘陵下の安田城(国史跡 富山市婦中町)、大峪城(旧五福小学校)が出城として築かれたと考えられています。
成政降伏後は婦負郡を領有した前田氏が支配しました。廃城は慶長年間(1596から1615)と考えられています。
北二の丸跡
本丸下郭跡
本丸跡。
本丸跡から富山市内が見える。
しかしまあ、昔の人は甲冑をつけて草鞋で駆け上がったりしたかと思うと、体力の凄さに関心する。
呉羽ハイツ
宿に着いてさっそく温泉に行ってみた。
湯はトロン温泉(準天然 人工温泉)でスベスベした感触。
内風呂からでも富山市内と富山湾が雄大に広がる姿を見ることができる。
北陸新幹線も見えた。
サウナは残念ながらコロナで休止。
露天風呂があるのに気づかなかった。
朝に入り直して露天風呂に行ってみると、風がビュービュー吹いて寒かったです。
部屋からわずかに富山湾が見える。
部屋前のエントランスからも眺望できた。
今回は朝夕食付き。
このあと天ぷら、茶碗蒸し、デザートが出て、満足いたしました。
翌日は宿を9時に出て、滑川の息子さん宅へ。
すし盛を用意してくれて、昼食しながら談笑。
いい生活をしているようで安心。
給水タンクもオシャレなものを使っている。
我が家のポリタンクとは大違い。
滑川をあとにして滑川インターから北陸自動車道で帰宅。
昨日見ることができなかった立山が見えた。
敦賀インターで降りて国境峠を通っていると事故発見。
軽自動車とバイクの正面衝突みたい。
バイクの前輪がひしゃげていて、軽もボンネットがぐちゃぐちゃ。
白髭神社は大勢の参拝者がおられた。
これで少しは富山県に恩返しができたかな。