上高野にある崇道神社さんに自転車でお詣りすることにした。
大原街道沿いにの三宅八幡橋を渡ってしばらく走ると崇道神社さんに着く。
汗をかきながらやっと到着しました。
長い坂道の参道がある。
本殿にお詣り。
京都観光NAVIより↓
奈良後期、光仁天皇の皇子早良親王を祭る。
早良親王は反桓武帝の中心勢力で、のち捕われ自殺。
当時都に悪疫が流行したのは親王の祟りとされ、その霊をなぐさめるため崇道天皇の追号を贈り、同地に祭られたのが始まりという。
伊多太神社(祭神:伊多太大神)
ウィキペディアより↓
上高野最古の神社。伊多太(いたた)は「湯立て」を意味し、出雲系の農耕守護神とされる。
応仁の乱で焼失後、明治16年に再興され、明治41年に崇道神社に合祀された。
上高野大明神町には旧跡が保存されている。
小野神社。
この山腹には小野毛人(おののえみし)の墓がある。
入り口の案内板には以下のように書かれていた。
天武朝の官僚であった小野毛人は、最初の遣隋使小野妹子の子で、天武6年(677)に没したとされる。
慶長18年(1613)、崇道神社境内の上高野一帯を見渡す 山腹の墓から鋳銅製の墓誌が発見され、この墓が小野毛 人を埋葬したものであることが明らかとなった。
大正3 年(1914)、墓誌は国宝に指定され、現在京都国立博物館に保管されている。
墓は、大正3年に調査され、その結果、板石で作られた石室は長さ約2.5メートル、幅及び高さ共約1メートル、 当初は封土が施されていたものとみられる。
この墓は、市内に残る奈良時代前期の数少ない遺跡であり、当時の墓制を知るうえでも貴重なものであることから、昭和59年6月1日京都市指定史跡に指定された。
お地蔵様が並んでいた。
崇道神社を訪れたあと、三宅八幡宮に向けて一本北側の細い道を走った。
走っていると、しば漬け又寅という看板があり店を覗いてみた。
「お店ではありません」という立て札。
すると愛想のいいご主人が出てきて、「ここでいろいろなことをやっています」
「店は叡山電車の八瀬駅のところにあります」
と言った。
「よければその中を見ていってください」と笑いながら案内された。
この建物の右側にログハウスの基礎を作っている。
左側には鉄パイプで作った階段があり、上に登らせていただいた。
ご主人はビアガーデンと言っていた。
見晴らしがよく、宝ヶ池国際会館も見える。
お土産にしば漬けを買った。
大きな離れ屋敷で代金を払っていると、「中へどうぞ、けやきで作った螺旋階段とチェーンソーアートのチャンピオンの作品がありますよ」
けやきの螺旋階段。
チェーンソーアートのイノシシ。
イノシシの顔も凄いですけど、力強いアキレス腱の彫り方も凄い。
「いろいろと見せて頂いてありがとうございました」と礼をいってあとにした。
三明院さんの塔を見ながら三宅八幡宮へ。
三宅八幡宮さんとうちゃこ。
ここで休憩し、汗を拭ってから帰宅しました。
いい出会いができたミニサイクリングでした。