第二十一回公演「ともしび」が幕を下ろして三週間が経とうとしています。終演後の興奮も冷め、私を含め役者達も次のステージに向かい始めました。
次回公演のワークショップも始まりました。
劇団芝居屋は動き出しました。
これからの行く先の為にも、今回の公演が今後の劇団芝居屋の活動にどの様な事柄を残したのか検証したいと思います。
この公演の稽古に入る前、私は二つの事柄を今回の公演で達成しようと心に誓ってこの公演の稽古に臨みました。
その一つは「覗かれる人生芝居」というコンセプトの顕在化です。
このコンセプトが抽象的な意味合いではなく、観客に、確かにこの芝居は「覗かれる人生芝居」というに値すると言ってもらえるだけの、具体的な表現をする事です。
二つ目は、それを具体的にする為の、役者の力量の向上です。
これはもともと劇団芝居屋を創立した時の大きな動機のひとつでした。役者の為の劇団であると自認する劇団芝居屋にとって役者の育成は急務でした。
しかし役者を創るという事は簡単な事ではありません。
やはり役者への要求を一段階上げた要求にする為には、二十回の公演が必要だったわけです。こちら要求を役者が受け入れる事や聞き入れる事ができるレベルまでに到達したと見極めた訳です。
そこで私は劇団員に意識的に「演ずること」を求めました。さてその成果は後ほど。
「覗かれる人生芝居」を構築する為の要素は、物語ではなく役者が主体を取るという事です。話をなるべく簡潔にする事によって、観客の筋立てを追い理解する為の努力をなるべく省き、そこに登場する役者が創り上げた人物達の絡み合う人生模様を、それぞれの人間の営みをを覗いて貰おうというのが主旨なのです。
斬新な演出や過剰な表現や複雑な筋立てなどとは一番縁遠い現代の世話物として、隣の人の人生を覗いてもらうのが劇団芝居屋の芝居です。
さて、何とか千秋楽を迎えたこの「ともしび」。
その結果はどうだったのか。
公演後のお客様との歓談やアンケートなど、外から聞こえてくる声は、まずは御好評をいただきました。
しかしながら、行為者の立場から考えれば、やはりまだまだ道半ばといった処にとどまるでしょうね。むろん手放しで成し遂げたなんて事は行為者には有り得ない事です。それほど淡白でもありませしね。
兎に角次こそとまなじりを決しているわたしです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます