序破急

片足棺桶に突っ込みながら劇団芝居屋を主宰している爺です。
主に芝居、時々暮らしの中の出来事を書きます。

「覗かれる人生芝居」に於ける役者の在り方 終章1

2012-04-14 10:49:42 | うんちく・小ネタ

Tooruyoru果たして俳優とは表現者であろうか。

 
いや、演劇に於いて俳優は表現者たることを期待されているのであろうか。

 
俳優は画家・音楽家・小説家・彫刻家・脚本家・演出家・舞踊家等、あらゆる表現芸術にわる者の一員として認められているであろうか。

 
この問い掛けに対して俳優自身から、言うまでもなく当然表現者であるとの答えが返ってくるだろう。

 
だが俳優を除く演劇界の人間にとって俳優は表現者として認められているのであろうか。

 
ここで私のいう表現者とは心中にあるものをその人固有の形のあるものに表す人のことを言う。

 
文字通りのことだ。

 
心の中にあるもの、無形のものを何かの形を借り、もしくは形を発明したり発見したりすることによって表す人の事を言っている。

 
形を発明したり発見したりできる極めて稀な人を除き、大概の人は何かの形を借りて表している。

 
絵画・映像・文章等々といった表現形式である。

 
これを近代演劇というジャンルに当てはめて考えてみよう。

 
心の中にあるものを言葉で表す作家という存在があり、作家の表現にした言葉を自分の心にあるものと反応させて具体的なイメージを創り上げてゆく演出があり、そして作家の言葉と演出のイメージに自分の心を反応させ役者として演技という具体的表現で表す俳優がいる。

 
つまり本来そこにはそれぞれ自分の内なる欲求をそれぞれの方法で表す表現者がいるだけである。

 
言い換えればそこに上下関係などはない筈である。

 
ところが現実はその様な原則的な関係では有り得てはいない。

続く。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿