shetland'A blog

スキーでの靱帯断裂の闘病記から始まって介護問題。今は趣味や日常での楽しみを記録。

同室の女性

2015年02月08日 | 介護
2015/02/08(日)
同室の女性というか、老親と同室の患者さんの娘。
同じくらいの年齢だろうか。
寝たきりになったお母様を一生懸命看病されている。

10年前に脳血栓をおこしたとかで、現在は85歳ということだった。
お父様が先立たれ、お姉さんも先立たれ、次のお姉さんとは不仲であり、すべてが自分にかかっているという。
お母様に何かあれば、と思うと不安で仕方ないです、と。

そうだろうな。
気持ちはよくわかる。
今日は
「国立病院には初めて搬送されましたが、救急時、延命措置をどうしますか?と聞かれましたか?」と聞かれた。

「私は延命措置はしないで下さいといいました。」というとその娘さんは
「そういうことを言われたのは初めてで胸が苦しくなりました。結局答えたのはできるだけのことはしてあげてほしい。延命措置もしてください。と答えました。」と。

ただ、延命措置をお願いした後も、何度も医者が
「機械がつけっぱなしになりますよ」などと何度も延命措置をやめるような流れの話をしてきたと。

私は、心臓が止まった時に心肺蘇生をしても動き出す可能性は少ないし、肋骨は一度で折れてしまうでしょう。その後、動き出したとしても骨折が治る見込みはもうありません。
ここまで話して看護師さんが来たので話は中断した。

私はもう自然に逝かせてあげたい。今だって昔であればもう旅立っている。
現状でも延命させていることに変わりない。
冷静に受け止めていきたい。

20年ほど前、片方の親が急死したとき、死ぬことはいなくなることと思った。
老親の救急搬送の度に死を考えて、最近は、死ぬってことは体は無くなるけど、いろんなことは私に刻まれて私の中で生きて行くんだなと思う。

喋ることのできなくなった老親の優しい声は、今も心で聞こえる。
あの女性はやっぱり延命措置をのぞみ続けるのだろうか。
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