続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

金山康喜『アイロンのある静物』

2015-03-27 06:24:18 | 美術ノート
 神奈川県立近代美術館/葉山で催された「金山康喜のパリ展ー1950年代の日本人画家たち展」

 金山康喜の作品を観てから、なぜかしら引っかかり心を離れない。この奇妙な誘惑・・・彼の作品はセクシーなのだ。性的描写があるわけではない、むしろ硬質のオブジェの組みあわせであって、暗示するものは皆無である。

 抑えきれない興奮の欠片を、なぜ捨てきれないほどに抱かせるのか。もしかしたら、ここに彼の作為/企みの秘密があるのかもしれない。

『アイロンのある静物』
 中央のビンのイエロー、ここだけを切り取れば単なる黄色に過ぎない。しかしここでは画面の空気に押されて輝いて見え、天井から下がっているであろう電球はその口に触れなんとしている。その電球の白は微妙に青を含み、微妙に変形、傾いている。重いとも軽いともいえない微妙な質量をもって黄色いビンに接触を図っている。黄色いビンの方は心持ち電球の方へ伸び上がっているとさえ見える。しかもこの黄色いビンは前後から黒い物体(アイロンと帽子)に圧迫されるような位置関係である。

 黄昏・・・落日の陽がわずかにシャツを染めている。残る手前のシャツの透明なブルーはアイロン台の乳白色の冷静さに比してタッチを荒くし、揺れさざめいている。その傍らの断ち切りバサミ・・・静寂に見える室内は華麗な物語の導入部のようである。ゆえに描かれたオブジェは存在感を故意に欠如させている。大切なのは実態ではなくその物体から想起されるイメージであり、彩色との複合的なメッセージなのだと思う。
 何かが始まる予感・・・しかし、深い沈黙にはそれを悟られまいと微動だにしない緊張がある。

 星の数ほどある色彩の諧調、その色と形と質量は微妙なムーブメントで図られている。作品からは震えるような危ない会話が秘密裏に聞えてくる。(確かにここには仕組まれたサスペンスの香りが潜んでいる)
 画面から垣間見える思考回路。極めて手の込んだ美しく華麗な実験である。(写真は、展覧会カタログより)

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