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セレンディピティ ダイアリー

映画とアートの感想、食のあれこれ、旅とおでかけ。お探しの記事は、上の検索窓か、カテゴリーの各INDEXをご利用ください。

見えてくる風景 コレクションの現在地 @アーティゾン美術館

2020年04月25日 | アート

東京に大雪が降った先月末、京橋に新しくできたアーティゾン美術館に行ってきました。

ビルの建替えのために2015年5月に閉館したブリヂストン美術館が、1月18日アーティゾン美術館としてよみがえりました。私も数々の名画に再会できる日を心待ちにしていました。ちなみにブリヂストン美術館最後の展覧会についてはこちらで記事にしています。

ベスト・オブ・ザ・ベスト @ブリヂストン美術館 (2015-02-23)

アーティゾン美術館は完全予約制です。実はこの日は東京都から最初の自粛要請が出ていたので、どうしたものかと迷いました。予約は1回だけ日時を変更可能ですが、先行きが見えないので、思い切って足を運ぶことにしました。(現在アーティゾン美術館は休館中です)

館内は、自粛要請に大雪も重なって、お客様は全部で20人もいたかどうか。広大なギャラリーを貸切ったかのように名画を鑑賞する、という贅沢な時間をすごしました。開館記念展は

見えてくる光景 コレクションの現在地

休館中も収集活動を続けてきた石橋財団コレクション約2800点の中から、選りすぐりの約200点を公開。うち30点は新しくコレクションに加わった作品です。ブリヂストン美術館といえば印象派絵画のイメージが強いですが、現代美術の作品が増えていると感じました。

Part1では近現代美術を中心に紹介、Part2では古今の作品が7つのテーマで紹介され、縦軸と横軸が交差するアートの散歩道を、気の向くままに歩いているような気分を味わいました。前回と重複しないよう、新しく収蔵された作品も交えてご紹介させていただきますね。

なお作品はすべて撮影可、アプリを使ってオーディオガイドも楽しめます。

メアリー・カサット「日光浴(浴後)」 (1901)

大好きなアメリカの印象派画家、メアリー・カサットの作品が新収蔵されていました。美しい柔らかな色彩に、うっとりとろけるような感動を味わいました。

藤島武二「黒扇」 (1908-09)

ブリヂストン美術館の代表作のひとつ。久しぶりの再会ですが、やはり引き込まれます。

青木繁「海の幸」 (1904)

これもブリヂストン美術館の代表作。青木繁画伯は、石橋正二郎氏と同じ久留米出身の画家で、石橋氏は散逸しないよう特に蒐集に努めました。迫力ある作品ですが、意外とサイズが小さいことに驚きました。

草間彌生「無限の網(無題)」 (1962)

新収蔵には、草間彌生さんの作品もありました。

旧美術館にあったクリスチャン・ダニエル・ラウホ「勝利の女神」。吹抜けを見下す特等席に常設の場所を得て、さらに輝きを増していました。

パブロ・ピカソ「道化師」 (1905)

ギャラリーは6階から4階までの3フロアです。建材や設計にも細やかな配慮がなされていて、建築について紹介するコーナーもありました。

人ひとりいない京橋駅。


ハマスホイとデンマーク絵画

2020年03月15日 | アート

上野の東京都美術館で開催された「ハマスホイとデンマーク絵画」展を見に行きました。

東京展はコロナの影響ですでに閉展していますが、4月7日~6月7日と山口での開催が予定されています。

19世紀末デンマークを代表する画家ヴィルヘルム・ハンマスホイの作品約40点と、同時代に活躍したデンマークの画家たちの作品合わせて約90点を紹介する展覧会です。展示室は、ハンマスホイが描いた室内風に作られているところもあり、作品の世界を存分に堪能できました。

上のポスターの作品は「背を向けた若い女性のいる室内」(1903-04)。コンソールの上にあるパンチボウルはロイヤルコペンハーゲンのもので、会場にはハンマスホイが所有していた実物が展示されていました。欠けたところが金継ぎで修復されていましたが、アンティークの輝きは本物でした。

私が初めてハンマスホイの作品に出合ったのは、映画化もされた「サラの鍵」という小説の表紙で「室内ー開いた扉、ストランゲーゼ30番地」(1905)という作品です。灰色みがかった静かな室内画は心象風景のようでもあり、ストーリーとも相まってひと目で魅了され、いったい誰の絵?と思ったのがきっかけでした。

その後、トム・フーパー監督による、デンマークを舞台にした映画「リリーのすべて」(The Danish's Girl) では、主人公の2人(エディ・レッドメインとアリシア・ヴィキャンデル)が住む家に、ハンマスホイの室内空間が再現されていました。

そんな経緯もあって楽しみにしていたので、閉展前に見に行くことができてよかったです。

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ハンマスホイの作品は、静謐な美しさにただただ引き込まれました。北欧の柔らかい光が降り注ぐ風景、洗練された都会での暮らし、家族との穏やかな日常など、ほっとくつろげる魅力がありました。

ハンマスホイと同時代に生きるデンマークの画家たちの作品は、どれも初めて聞く名前でしたが、ハンマスホイの作品と共通するものがあり、この時代のデンマークで、室内画がよく描かれていたことを知りました。寒さゆえに家での時間を大切にする、北欧ならではのムーブメントだったのかもしれません。

オスカル・ビュルク「スケーインの海に漕ぎ出すボート」(1884)

半島北端の漁師町スケーインが芸術家たちの間で注目され、厳しい自然環境や漁師たちの生活を描く画家たちは、スケーイン派とよばれました。私はオスカル・ビュルクという画家が描くドラマティックな世界に惹かれました。

作品からうかがえるスケーインが、アメリカ・マサチューセッツ州のケープコッドに似ているように感じたことも気に入った理由かもしれません。

ヴィゴ・ヨハンスン「きよしこの夜」(1891)

ヴィゴ・ヨハンスン「春の草花を描く子供たち」(1894)

ピーダ・イルステズ「ピアノに向かう少女」(1897)

ヴィルヘルム・ハマスホイ「農場の家屋、レスネス」(1900)

ヴィルヘルム・ハンマスホイ「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」(1910)

ハンマスホイ作品がもつ独特の色調に、心が静かに満たされるのを感じました。


東洋文庫の北斎展

2019年11月09日 | アート

本駒込の東洋文庫ミュージアムで開催されている「東洋文庫の北斎展」を見に行きました。

東洋文庫は、三菱3代目当主岩崎久弥氏が設立した、東洋学の専門図書館です。これまで何度も招待券をいただきながら訪れる機会を逸していましたが、今回は私にもなじみのある北斎展ということで、足を運んでみました。

ミュージアムの中心を成すのは、オーストラリア人ジャーナリスト G. E. モリソン氏が収集した約2万4千冊の書籍、通称「モリソン文庫」です。モリソン氏は中華民国総統府の顧問として20年間北京に駐在し、欧文で書かれた東洋に関する質の高い書籍を収集しました。

写真で何度も見て憧れていたモリソン文庫を目の前に見ることができて感激しました。まるで「美女と野獣」でベルが狂喜乱舞したビーストのライブラリーのようです。”天正遣欧使節記” や ”ペリー提督 日本遠征記” など、教科書にも登場する貴重な書籍が展示されています。

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この後はいよいよ北斎展です。北斎といえば、美術展では「富嶽三十六景」など多色刷りの版画が展示されることが多いですが、今回は東洋文庫が所蔵する墨一色の絵本が中心です。これまでにあまり見たことのない、東洋文庫ならではのセレクションで大いに堪能しました。(展示は写真撮影可です)

『諸国瀧廻り』全8図の中から「東都葵ヶ岡の滝」です。現在の溜池山王のあたりにあった人工の貯水池と滝が描かれています。今は溜池は埋め立てられ、地名と地形からその面影を知るのみですすが、かつてはこんな風景があったのですね。

総房海陸勝景奇覧 (1818-1819)

右端に房総半島、左手前に三浦半島、中央に見える海は東京湾を表しています。飛行機のない時代に、どうやってこんな詳細な鳥瞰図が描けたのか??と驚きますが、地図や地誌を参考に、北斎自身の旅の経験も生かされているそうです。地図好きにはわくわくする作品でした。

絵本隅田川両岸一覧 (1917復刻)

北斎は引越し魔で、93回引越したことが知られていますが、ほとんどは今の墨田区内でした。当時の墨田川は、水上交通の要所で沿岸は賑わっていたのだろうな、ということがうかがえる作品です。

画本彩色通 (1848)

北斎が亡くなる前年に刊行された、最後の絵手本です。これまでの画集と違い、絵を描くための指南書となっています。筆や刷毛の使い方、絵の具の種類と調合方法など、北斎が体得した画法が細かく説明された集大成ともいえる作品。後世の画家たちに残そうとして、 書かれたのでしょうか。

展示室に人がいなくなったところを見計らってパチリ。本が中心の展示というのが、ユニークでおもしろかったです。説明も平易なことばでわかりやすく書かれていて、親しみがもてました。

北斎展を見たあとは、ミュージアムに併設されているレストラン「オリエント・カフェ」でお昼をいただきました。こちらでは、小岩井農場(岩崎家がオーナー)のお料理がいただけます。

一日10食限定の「マリーアントワネット」というボックスランチにしたかったのですが、この日の分はもう終わっていたので、「マルコポーロセット」というふわとろのオムライスをいただきました。メインのオムライスにスープ、サラダ、コーヒーがつきます。穏やかな味わいでおいしかったです。

私はおなかいっぱいでいただかなかったのですが、チーズケーキが人気のようです☆


世界報道写真展2019

2019年08月02日 | アート

東京都写真美術館で開催中の「世界報道写真展2019」を見に行きました。東京では8月4日まで、のち大阪、滋賀。京都、大分に巡回します。

「世界報道写真コンテスト」の今年の入賞作品、8部門48点(組)が展示されています。今年は「世界報道写真大賞」に加え、新たに組写真を対象にした「世界報道写真ストーリー大賞」が設けられました。

ポスターの写真は、今年大賞を受賞したアメリカのジョアン・ムーア氏の作品です。トランプ政権が掲げた不寛容な移民政策によって、アメリカ・メキシコ国境で引き裂かれた母子をとらえた作品で、私もSNSで何度も目にしました。この写真がきっかけで抗議運動が高まり、政策が見直しとなったことも記憶に残っています。

スポットニュースの部・単写真3位を受賞した、メキシコのペドロ・パルド氏の作品です。メキシコ・アメリカ国境のティファナで、フェンスをよじ登る中米の親子をとらえています。昨年は中米から7000人もの難民がキャラバンを組織し、アメリカを目指して歩きました。

このキャラバンの過酷な旅は、オランダのピーター・テン・ホーペン氏が10点の組写真にし、今年の世界報道写真ストーリー大賞を受賞しています。

環境の部・単写真1位を受賞した、南アフリカのブレント・スタートン氏の作品です。ジンバブエの野生動物公園で活動する、女性だけの反密猟武装組織「アカシンガ」(勇気ある者たち)の擬態訓練に参加している女性の姿をとらえています。

シリアスな写真に不謹慎ですが、長期的な環境保護の視点に立って真摯に戦う女性の姿が神々しく、「マッド・マックス」のシャーリーズ・セロンを思い出しました。

長期取材の部・1位を受賞した、アメリカのサラ・ブレセナー氏の組写真。30点からなる大作です。ロシアとアメリカの両国において、軍事的な意味合いを持つ愛国教育が、子どもたちの活動にさりげなく組み込まれていることを知り、複雑な思いを抱きました。愛国心とは何かと考えさせられ、私にとって一番強烈だった作品です。

スポーツの部・組写真1位を受賞した、イランのフォルーグ・アラエイ氏の作品です。イランでは、女性がサッカー観戦するのに大きな制約があるそうです。この日は特別に、女性たちがスタジアムの区切られたエリアへの入場が認められたそうで、応援する女性たちの生き生きとした表情が心に残りました。

異国の文化に触れられることもこの写真展の魅力です。これはポートレートの部・組写真3位を受賞した、ブラジルのルイーザ・ドール氏の作品です。スペインのバレンシアの火祭りで女性たちが身に着ける、ファジェラという民族衣装を紹介しています。繊細なレースの装飾を施したアンティークなドレスはどれもすてきでした!

自然の部・単写真2位を受賞した、オランダのブレント・ドゥースト氏の作品です。カリブのオランダ領キュラソー島にて、脚に傷を負って、治療用の靴下を履いている、ベニイロフラミンゴの姿をとらえています。見慣れない靴下が気になるのかな? かわいい姿にきゅんとしました。

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日本の写真家の受賞はありませんでしたが、テニスの大坂なおみ選手がプレイする姿をとらえたオーストラリアの写真家の作品がありました。

今年の受賞作品は、こちらのサイトで見ることができます。
WORLD PRESS PHOTO 2019

また過去の感想はこちら。
世界報道写真展2018
世界報道写真展2017
世界報道写真展2011-2016


特別展「巨星・松本清張」

2019年06月04日 | アート

港の見える丘公園からさらに奥に進み、県立神奈川近代文学館で開催されている特別展「巨星・松本清張」(5月12日で終了)を見に行きました。場所は、大佛次郎記念館のわきから霧笛橋を渡った先となります。

円い展示室を2つ並べた形が個性的。緑の中のすてきなミュージアムです。

昭和を代表する作家、松本清張の作家人生を、約400点の資料とともにに紹介する企画展です。膨大で多岐にわたる作品の中には映像化されたものも多く、展示内容は変化に富んでいて、興味深く見れました。

松本清張といえば、戦後の経済成長の陰にひそむ心の闇を描いた社会派の推理小説を数多く残していて、私も一時期夢中になって読んでいました。「砂の器」「点と線」「ゼロの焦点」などは何度も映像化されている代表作ですが、最近では、男性社会の陰で暗躍する女性たちを描いた「けものみち」「黒革の手帳」なども話題になりました。

私が好きな作品をひとつあげるとしたら、短編小説の山岳ミステリー「遭難」です。緻密に計画された殺人と、登山日誌をもとに真相を暴く登山家。殺人者と登山家の緊張感あふれる心理的かけひきに、ぞくぞくするような興奮と、静かな感動を味わいました。

遺品の万年筆とインクボトル

松本清張といえば推理小説のイメージが強いですが、古代史や近・現代史、ノンフィクションや実在の人物を評した作品も、数多く残しています。

清張と同じ福岡出身の2人の洋画家、青木繁と坂本繁二郎の評伝を書いていると知り、興味を持ちました。またノンフィクションの「日本の黒い霧」や、事実から真相究明を試みる「小説帝銀事件」も、いつか読んでみたい作品です。

取材旅行先のパリで


クリムト展 ウィーンと日本1900

2019年05月10日 | アート

京都・奈良旅行記をようやく仕上げたので、今度は大型連休のことをぼちぼちと...。連休中は近くでのんびりとすごしていました。まずは、東京都美術館で開催中の「クリムト展 ウィーンと日本1900」を見に行きました。

今年は没後100年のクリムト・イヤーで、現在、クリムトとウィーン世紀末美術を題材にした展覧会が、国立新美術館と目黒区美術館でも開催されています。本展は、日本初公開を含むクリムトの絵画25点以上が展示され、過去最大規模の展覧会です。耽美で官能的なクリムトの世界を堪能しました。

ポスターのビジュアルは、クリムトの代表作で旧約聖書に題材を求めた「ユディト I」(1901)の一部です。実物の作品は、将軍の首を抱えたユディトの裸の半身が、恍惚の表情とともに描かれています。クリムト自身がデザインした黄金の額に縁どられ、神々しいほどの輝きを放っていました。

ヘレーネ・クリムトの肖像 1898

クリムトが金箔を使う前の初期の作品から。描かれているのはクリムトの弟の娘ヘレーネで、6歳の時の肖像画です。あどけない横顔には少女の神秘性も感じられ、心に残った作品です。「レオン」のマチルダを思い出しました。

女友だち I(姉妹たち) 1907

日本美術からも影響を受けたクリムト。極端に細長い絵は掛け軸を模しているのでしょうか。二人の女性は美人画のようで、下の方には平面的な市松模様も見えます。

赤子(ゆりかご) 1917

日本の着物を感じさせる色とりどりの布地の重なりの上に、赤ちゃんの顔がのぞいています。

ベートーヴェン・フリーズ(原寸大複製) 1984(オリジナルは1901-02)

クリムトら前衛的な芸術家たちは、保守的な芸術家組合に対抗して、”ウィーン分離派” を結成しました。本展では、クリムトがウィーン分離派展に出品した、3面からなる壁画「ベートーヴェン・フリーズ」の実物大の複製を見ることができました。

テーマはベートーヴェンの交響曲第9番。上は最後を締めくくる1面で「歓喜の歌」を表現しています。

アッター湖畔のカンマ―白 III 1909/10

オーストリアの避暑地にあるアッター湖の風景です。点描で描かれた緑と建物、湖は、夏のきらきらとした光をとらえていて、まるで印象派絵画のよう。はかなくも美しいです。

オイゲニア・プリマフェージの肖像 1913/14

パトロンだった銀行家の妻を描いた肖像画。華やかな色使いに豊かさが感じられ、魅力的な作品です。右上には鳳凰が描かれていて、東洋の影響が見られます。

女の三世代 1905

ローマ国立近代美術館所蔵で、日本初公開となる作品。”生命の円環” をテーマに、人間の一生の幼年期、青年期、老年期の三段階を寓意的に表しているそうです。私は、ナオミ・ワッツの「愛する人」(Mother and Child)を思い出しました。

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最後に下世話な話を少々。クリムトは生涯結婚していませんが、愛人が14人?もいて、子どももたくさんいたそうです。一番驚いたのは作曲家マーラーの妻も(マーラーとの結婚前に)クリムトの恋人だったことがあるとか。でもそうした奔放な恋愛の数々が、作品を生み出すエネルギーとなっていたのでしょうね。

そしてクリムトの芸術家としての出発点は、弟らとともに工芸学校で学んだ彫金でした。本展では、クリムト兄弟による初期の頃の彫金作品も見ることができました。のちに油彩画の中に金箔を取り入れたのも、クリムトにとっては自然な芸術表現だったのでしょうね。


アルヴァ・アアルト もうひとつの自然

2019年02月27日 | アート

東京ステーションギャラリーで開催中の「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」展を見に行きました。

昨年秋に、葉山で開催されていた時から気になっていた本展。その後、東京に巡回すると知って楽しみにしていました。フィンランドの建築家、アルヴァ・アアルトの生誕120年を記念して世界5か国で開催される巡回展で、日本では20年ぶりに開かれる個展です。

アアルトといえば、日本では家具や照明、ガラス器などでおなじみですが、肝心の建築に関しては、多くがフィンランドにあるために、なかなか見る機会がありません。本展では、写真、設計図、模型、映像など、さまざまな資料をもとに、アアルトの建築家としての足跡をたどることができました。

また、アアルトが建築に合わせてデザインした、アームチェアやスツール、照明器具なども展示されています。これらの製品は、おそらく誰もがどこかで見たことのあるおなじみのデザインですが、半世紀以上経た今もなお、多くの人々に支持され、生産が続けられているのはすごいことだと思います。

アアルトのデザインは機能的でシンプルですが、それらはフィンランドの豊かな自然の中にある有機的なフォルムを取り入れているのだそうです。自然界にあるものはすべて、その色や形に道理があるからなのでしょうね。アアルトのデザインに安らぎを覚えるのも、自然との調和があるからかもしれません。

ヴィーブリ(ヴィーボルク)の図書館 ロシア 1927-35

バイミオのサナトリウム フィンランド 1928-33

バイミオのサナトリウム フィンランド 1928‐33

ステーションギャラリーの八角形の小部屋に、病室の再現展示がありました。白とミントグリーンで統一された、清潔でシンプルな空間でした。

ルイ・カレ邸 フランス 1956-59

フィンランディア・ホール フィンランド 1962-71

ニューヨーク万博フィンランド館 1939

サヴォイ・ベース(アアルトの代表的な花瓶)を思わせる曲線ですが、オーロラをイメージしているそうです。

家具や日用品の展示室。ティ・トローリーやアームチェアなど。合板を曲げる過程を紹介する映像もありました。

サヴォイ・ベースを作る過程も映像で紹介されていました。ふくらませた柔らかいガラスを型に入れて作っていました。写真は1937年頃使われていた木製の型。

展示室を出たところには、アアルトが設立したインテリアブランドArtekさんの展示コーナーも。ステーションギャラリーの赤レンガの壁によくマッチして、プライベートな空間のようですね。


マイケル・ケンナ写真展

2018年12月30日 | アート

東京都写真美術館で開催中の「マイケル・ケンナ写真展」(MICHAEL KENNA - A 45 Year Odyssey 1973-2018) を見に行きました。

White Bird Flying, Paris, France. 2007

アメリカ在住のイギリス人風景写真家、マイケル・ケンナの日本初の回顧展です。モノクロームの静寂に満ちた風景に、私はジョージ・ウィンストンのピアノ曲を思い出します。

本展では、ケンナの代表作品の中から約170点が展示されています。特別展示となる、ナチスドイツの強制収容所を撮影した ”Impossible to Forget" シリーズ、日本の古い家屋で撮影した ”裸婦” のシリーズは、日本初公開です。

Kussharo Lake Tree, Study 2, Kotan, Hokkaido, Japan. 2005

かつて北海道の屈斜路湖畔にあり、ケンナが気に入って毎年撮影していたというミズナラの木。倒木の危険があり、残念ながら2009年に伐採されたそうです。

Taushubetsu Bridge, Nukabira, Hokkaido, Japan. 2008

北海道・糠平湖にあるコンクリート製アーチ橋、タウシュベツ川橋梁。

Empire State Building, Study 6, New York,  USA. 2010

ニューヨークの、エンパイアステートビルと摩天楼。

ケンナは、ハッセルブラッド社の6×6㎝のフィルムカメラを愛用していて、すべてモノクロームで撮影され、四角い作品が多いのが特徴です。悠久の時を感じさせる幻想的な作品は、時に10時間にも及ぶ長時間露光という方法によって生み出されたものです。

そこがたとえ極寒の雪の世界であろうと、ひたすら待ち続けること。なんでもデジタル処理で写真が加工できてしまう今の時代において、この時間がなんともぜいたくで豊かだと感じられました。ケンナの作品は一見シンプルに見えるものも多いですが、そこには積み重ねられた時間の重みがあるのですね。

ここではピックアップしていませんが、木が並んでいたり、風車が並んでいたり、幾何学的なモチーフの連続性を感じる作品も多く、私はつくづくこういう作品が好きなんだなーと再認識しました。ケンナの風景写真には人物は写っていませんが、そこには人の手、人の気配が濃厚に感じられます。

Railway Lines and Entry Building, Birkenau, Poland. 1992

1988年から12年間、ナチスドイツの強制収容所28ヵ所で撮影されたという ”Impossible to Forget” の連作には打ちのめされました。モノクロだからこそ伝わってくる多くのものがありました。特に、地平線まで長く続く線路だけをとらえた作品には、ホロコーストの悲惨さを直接描いているわけではないのに、胸が締め付けられました。

Chapel Cross Power Station, Study 1, Dumfries, Scotland. 1985

美しい風景写真だけでなく、原発や廃墟など、社会性をもった作品にも強く惹きつけられました。

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写真美術館のある恵比寿ガーデンプレイスには、今年もフランスのクリスタルブランド・バカラのシャンデリアが飾られています。

バカラエターナルライツ2018

クリスタルのピースが繊細なレースを織りなすシャンデリアは、キラキラと輝いてため息が出るほどの美しさ。夜は暗闇の中に浮かび上がり、なおのことゴージャスで美しいでしょうね。

寒空の下、懸命に咲いている花壇の花々が愛らしく、いじらしくなりました。


ムンク展 共鳴する魂の叫び

2018年12月13日 | アート

上野の東京都美術館で開催中の「ムンク展 共鳴する魂の叫び」(~2019年1月20日まで)を見に行きました。ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンクの回顧展。オスロ市立ムンク美術館のコレクションを中心に、代表作の「叫び」をはじめ、約100点が展示されています。

叫び 1910年

私が初めて「叫び」を見たのは1980年頃、東京国立近代美術館で開催されたムンク展です。当時はまだそれほど知られていなくて来場者も少なく、じっくり見れたことを思い出します。ムンクの「叫び」は全部で5点あり、今回初来日しているのは最後に描かれた作品です。同じ構図で描かれた「絶望」「不安」も展示され、赤い空が強烈な世界観を放っていました。

ちなみに「叫び」に描かれている男性は、叫んでいるのではなく両手で耳をふさいでいます。先日見たNHKの「日曜美術館」では、男性はムンク本人で、産業の発展で祖国の森林が伐採されることに絶望を感じ、自然が放つ叫び声に耳をふさいでいる...と分析していました。

自画像 1882年

ムンクは生涯にわたり、80点以上の自画像を描きました。本展では自画像と名のつくものだけで11点、自撮りした写真も6点ありました。タイトルになくても、ムンク自身がモデルとして描かれている作品もあるので、それも含めると20点以上はあったかもしれません。

といっても、決してナルシストだったわけではなく、きっとものすごく内省的な画家だったのだろうと思います。しかも自画像は、作品によって別人かというくらい表情がまるで違うのです。上の作品は、ムンクが19歳の時、最初に描いた自画像で、活動をはじめたばかりの青年画家としての自信と野心にあふれています。

しかしその後は、死を意識した絶望の表情だったり、恋人と発砲騒ぎを起こしたあとの苦悶の表情だったり、療養生活を終えた穏やかな表情だったり... 最晩年の「自画像、時計とベッドの間」は、ヒトラーから退廃画家として作品を没収され、祖国を占領され、無の表情が描かれていました。

病める子I 1896

ムンクは、子ども時代に母と姉を結核で亡くしました。死が身近にあったことは、生涯にわたって彼の作品に大きな影響を及ぼしました。初期の頃、病床にいる姉を描いた「病める子」という作品を数多く残しています。

接吻 1895

ムンクは同じタイトル、モチーフで作品をたくさん残しています。自分の作品を ”子どもたち” とよんで大切にし、作品が売れて手元から離れると、同じ作品を描くこともあったそうです。「接吻」も数点ありましたが、上のエッチングの作品はもっともリアルで生々しく感じられ、ドキッとしました。

森の吸血鬼 1916-18

吸血鬼というとドラキュラを思い浮かべますが、ムンクが描くのは女性の吸血鬼。数々の女性と恋愛を重ねたムンク... この作品も女性との命がけの恋愛を吸血鬼に例えたのでしょうか。

マドンナ 1895/1902

艶めかしい聖母のまわりに胎児と精子が描かれ、発表当時物議をかもした作品です。

マラーの死 1907

恋人との発砲事件を題材に描いた作品。ムンクの手が血に染まっています。

生命のダンス 1925

ムンクの絵は、ドレスの色にも意味が込められているそうで... 左の白は”清らか”、右の黒は”拒絶”、中央の赤は”性愛”を表しているそうです。「赤と白」という作品もあり、白いドレスの女性は”純真”、赤いドレスの女性は”成熟”を表していると説明がありました。

星月夜 1922-24

晩年の作品の中から。星月夜というとゴッホを思い出しますが、ムンクの星月夜はキーンと冷たい北欧の空が描かれているように感じます。


生誕110年 東山魁夷展

2018年11月16日 | アート

国立新美術館で開催中の「生誕110年 東山魁夷展」(~12月3日まで)を見に行きました。国民的画家と謳われている東山魁夷の代表作70点と「京洛四季」の習作・スケッチ約30点、さらに奈良・唐招提寺御影堂の障壁画(襖絵・壁面)が、御影堂の内部そのままに再現展示されています。

東山魁夷画伯の作品を初めて見たのは、1980年頃に東京国立近代美術館で開催された回顧展だったと思います。日本画という枠にとらわれない大胆な構図と繊細な描写、静謐な世界に、こういう日本画もあるんだ〜と衝撃を受けました。本展は、ひと足先に京都で見た息子からもよかったと聞いていて、東京での開催を待ちわびていました。

特に唐招提寺御影堂は現在修復中で、今後しばらく障壁画を見ることはできないので、今回は御影堂の内部そのままに、間近で鑑賞できる貴重な機会となっています。

ポスターを飾るのは「道」(1950年)。八戸市の種差海岸にある道路ですが、放牧馬や灯台を取り去り、まっすぐに続く道だけを力強くシンプルに表現しています。魁夷独特の青みがかったグリーンが清々しく印象的。敗戦後の日本人に大きな希望を与えた作品です。

残照 1947年

日展で特選を受賞し、魁夷の今後の作風を方向づけた原点というべき作品です。場所は千葉県の鹿野山。夕陽に照らされた山の連なりが美しく、息をのむほどに神々しく壮大な風景です。長野の山岳風景?と思っていたので、最初に千葉と知った時には驚きました。山の陰影の美しさに、グランドキャニオンの夕景を思い出しました。

たにま 1953年

初期の頃のシンプルで抽象的な作品も好きです。本作は「自然と形象 雪の谷間」(1941)がさらに単純化、抽象化されていて、幾何学的な魅力も感じました。水流の表現には琳派の影響も見て取れます。

冬華 1964年

魁夷は、北欧やドイツなどの北の国の文化に親近感を覚え、旅先の風景を数多く残しました。写真は北欧を描いた作品で、白・グレー・シルバーで構成される風景からキーンと凍りつくような空気が伝わってきました。薄曇りの太陽に照らされ、ダイヤモンドダストがきらきらと輝いています。

晩鐘 1971年

ドイツのフライブルク大聖堂を丘の上から描いた作品です。夕暮れに浮かび上がる尖塔のシルエット。雲の間から”天使のはしご”とよばれる細い光線が何本も下りていて、厳かな気持ちに満たされました。

唐招提寺御影堂障壁画 山雲(部分) 1975年

いよいよ唐招提寺御影堂障壁画です。5つの部屋がそのままの間取りで再現されていました。これは上段の間を飾る「山雲」。失明して6度目にして日本にたどり着いた鑑真が見たかったであろう日本の風景を表現しているそうです。特定の場所ではないようですが、私は先日まさしく奈良を訪れた雨の日に見た、山にたなびく白雲を思い出しました。

唐招提寺御影堂障壁画 濤声(部分) 1975年

そしてこちらが、神殿の間を飾る「濤声」(とうせい)。「山雲」が日本の山を表現しているのに対して、こちらは日本の海を表現しています。広いお部屋の2面にわたって続く大海原は圧巻のひとこと。岩の風景は歌舞伎の「俊寛」を思い出しました。

この他、鑑真ゆかりの中国の風景「黄山暁雲」「揚州薫風」「桂林月宵」がそれぞれ水墨画で描かれていました。

行く秋 1990年

最後のコーナーは晩年の作品でした。これはドイツの風景から。ドイツでは落ち葉は木の形に落ちると聞き、木ではなく、その下に広がる落ち葉を描いたそうです。どういう形の木なのか、想像をかきたてられます。

夕星 1999年

魁夷の絶筆となる作品。パリの郊外にある公園をもとに、心のふるさとを描いたとされています。東山ブルーに彩られた風景は静かさに満たされ、穏やかな晩年がうかがえました。空に輝くひとつの星はご自身を重ねて描かれたのでしょうか...。