わしやま

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ロックだ!春日!!

2011-08-21 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

The Clash「Rock The Casbah」

本日はボーカルのジョー・ストラマーのお誕生日ということでアップしました。

1976年 - 1986年にかけて活動した、イギリス・ロンドン出身のパンク・ロックバンドである。セックス・ピストルズと並び称されるロンドン・パンクの雄でありながら、ステレオタイプのパンク・ロックの枠にとらわれず、レゲエやダブなどの音楽的要素を貪欲に吸収し、独自の個性を確立してシーンに大きな影響を与えた。


この曲は、吉野紗香が生まれた日にリリースしたアルバム『コンバット・ロック』の収録曲。

後にシングルカットされ、バンドで唯一全米シングルチャートのトップ10にランクインした。ビルボードでの最高位は8位である。

一説では、ホメイニ政権下のイランでロックが禁止されていたことに影響を受けたという。

「カスバを動かせ」の影響で人民が禁を無視し始めた。王は禁を冒す者を戦闘機で爆撃するよう命ずるが、パイロットは命令を拒否し、コックピットの無線機でロックを聴く。こういった状況を寓話作家が語る。

曲中ではイランを含め、いかなるイスラム国の名も出していない。歌詞ではアラビア語、ヘブライ語、ウルドゥー語、北アフリカの用語が使われている。たとえば「シャリーフ」、「ベドウィン」、「シャイフ」、「カーシェール」、「ラーガ」、「ムアッジン」、「ミナレット」そして「カスバ」である。

ベストアルバム『クラッシュ・オン・ブロードウェイ』の解説によると、

この曲はバンドのマネージャー、バーニー・ローズが、バンドがアルバムに用意した過度に長い曲に対し、ふざけて「どの曲もこんな、ラーガ(長さと複雑さで有名なインドの音楽様式)のように長くなくちゃいけないのか?」とこぼしたことに端を発する。ストラマーは後に「王はブギーマンに言った、『ラーガをやめろ』」という行を冒頭に付け加えた。残りの歌詞はすぐ後に続く。

この曲は、ドラマーのトッパー・ヒードンが単なるパーカッション奏者を越え、作曲もこなした数少ない曲の1つである。

イントロは彼が以前から温めていたピアノフレーズで始まり、曲になる以前、リハーサルの合間に遊びで録音されていたもの。

2000年のドキュメンタリー映画『ウェストウェイ・トゥ・ザ・ワールド』で、彼がドラム、ベース、ピアノを演奏したことを明かしている。ヒードンは、単にバンドのために演奏していると思っていたものが、知らずに録音されていたと主張している。レコードのために必要なものはギターとボーカルのパートが残っているのみであった。

この曲は湾岸戦争で米軍の非公式テーマソングとなった。これは曲中の「ミナレットを爆撃しろ」という行が影響を与えている。

開戦時にAFN米軍放送で最初に流された曲でもある。これはバンドの左翼的立場に対して皮肉的なエピソードである。 ジャーナリストのヘスース・アリアスは「ストラマーは米軍が爆弾に "Rock the Casbah" と記していたというニュースを見て『まさか、俺の曲がアメリカ軍の死のシンボルになるなんて』と涙した。」と語った。

2006年に、保守的な「ナショナル・レヴュー」が発表した「保守的ロック曲」50曲の20位に選ばれた。湾岸戦争中の頻繁なリクエストを受けてのことである。

湾岸戦争時の人気にも関わらず、あるいはそのせいで「9.11以降クリア・チャンネルで不適切指定された楽曲リスト」の一曲に選出された。


そんなオードリー春日俊彰と同じ潜在能力のストラマーですが、

彼のキャリアを通じてファンに最も記憶されているのは、ファンに対して非常に献身的だったことである。ライブ終了後、彼は周囲に集まるファン一人一人に対してサインをし、声をかけ終わるまでその場を立ち去らなかったと言われており、時に数時間かかることもあったという。1982年のクラッシュ来日時には、ファンからのプレゼントがかなりの量になったが捨てるに忍びず、多額の超過手荷物料金を払ってツアーの次の目的地であるニュージーランドまで全部持って行った、と写真家ペニー・スミスが証言している。

彼は生前(2002年他界)、社会貢献活動に対して積極的であり、上記のチャリティーのみならず、地球温暖化防止のための植林活動を行っており、植林のためのCDリリースを行った初のミュージシャンであった。

現在ではフー・ファイターズ、コールドプレイ、ピンク・フロイドら多数のミュージシャンたちがこの活動に参加している。




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