わしやま

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ゲゲる松崎

2011-03-08 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

熊倉一雄「ゲゲゲの鬼太郎」

本日はこの曲の作詞を担当し、この曲が使われた作品「ゲゲゲの鬼太郎」の作者水木しげるさんのお誕生日ということであっぷしました。

2010年NHK紅白歌合戦でのミニコーナーで水樹奈々&AKB48の「プリキュア」、白組司会を担当したグループ「嵐」の大野智扮する怪物くんとしてリリースした「怪物くん」を披露しましたが、何より印象深かったのは2010年新語流行語大賞で今年の言葉として選ばれた「ゲゲゲの・・・」で、その元となったNHKドラマ「ゲゲゲの女房」の出演者を交え、象徴するかのように本家の80代のおじいさん熊倉さんがステージに立ち歌っている姿でした(ほかに桑田佳祐さんの復活もありましたが)。


この歌はそもそもはアニメ用に作られたものではなく、最初のアニメ化以前、『週刊少年マガジン』で原作が連載中の1967年7月20日にキングレコードとのタイアップで発売された児童向けレコード『少年マガジン・マンガ大行進』SKK(H)-354のために作られた楽曲だった(同年10月10日に『ハリスの旋風』とのカップリングでシングル化されている)。この曲がテレビアニメの企画を推進したと言われている。


ゲゲゲの鬼太郎(ゲゲゲのきたろう)は言うまでもなく、幽霊族の少年鬼太郎(きたろう)を主人公とする漫画作品で、それを原作とした一連の作品群の総称。 主人公が妖怪達と繰りひろげる物語。題名の由来は作者の『しげる』が、幼い頃自分の名前を「しげる」と言えずに「ゲゲル」「ゲゲ」と言っていたことから着想し、もう一つゲをつけて、ゲゲゲの鬼太郎となった。

そんなAKB48メンバーの渡辺麻友と同じ潜在能力の水木さんですが、

ペンネームは、紙芝居作家時代に、当時経営していたアパート「水木荘」から周りに名付けられた。

兵隊として戦争を体験したのち、終戦後より紙芝居、貸本漫画などを執筆。1964年に『ガロ』にて商業誌デビューし、妖怪を扱った作品により人気作家となる。代表作『ゲゲゲの鬼太郎』は5度TVアニメ化。2007年、『のんのんばあとオレ』によりフランス・アングレーム国際漫画祭で日本人初の最優秀作品賞を受賞。また妖怪研究家として、世界妖怪協会会長、日本民俗学会会員、民族芸術学会評議委員などを歴任、調布市名誉市民にも選ばれている。水木しげる記念館は境港市にある。そんな水木さんは89歳になる。

また、アジアンの馬場園梓と同じ潜在能力の熊倉さんですが、

来歴と経歴を紹介すると、

東京府東京市麻布区(現・東京都港区)出身。旧制東京府立第8中学校(現・東京都立小山台高等学校)卒業。旧制都立高等学校理科(現・東京都立大学理学部)在学中、記念祭で催した芝居をきっかけに演劇に興味を持ち始め、同校卒業後の、1949年に劇団感覚座を設立。しかし多額の負債を抱え込み1年で解散。

1950年東京演技アカデミー楽劇科に入学し、ミュージカルを中心に学ぶが、学校が1年後に倒産。その後劇団東芸等で俳優活動をしていたが、俳優は向かないと思うようになり、俳優活動を休止する。

1953年開局間もない日本テレビに入社。スタジオ班に配属され、主にテレビドラマの大道具を担当。当時は放映されるドラマの数が少なく、セットが完成すると次のドラマの準備まで時間が空くため、その合間に通行人等の端役でドラマにも出演していた。このドラマ出演をきっかけに再び俳優業に興味を持つようになり、劇団東芸に戻り、俳優活動を再開する。

1956年9月、テアトル・エコーへ入団。翌1957年に日本テレビで放映された『ヒッチコック劇場』で、元社員であった縁でキャスティングプロデューサーとして声優のキャスティングを担当(アルフレッド・ヒッチコックは放映開始当時、スーパーインポーズで吹き替えはなし)。担当ディレクターに、ヒッチコックの吹き替えに適当な役者がいないと相談したところ、熊倉本人に吹き替えを担当するように指示。これが熊倉の声優としての最初の成功作となる。以後数々の作品に声優として出演する。

声優としての当たり役にはヒッチコックのほか、TVドラマ版『名探偵ポワロ』の名探偵エルキュール・ポアロ(デヴィッド・スーシェ)の吹き替え等がある。NHK総合テレビ『ひょっこりひょうたん島』のトラヒゲ、NHK教育テレビ『ばくさんのかばん』のばくさんでも知られる。1968年にはアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌を歌い、キングレコードのヒット賞を受賞した。またディズニーの長編アニメの吹き替えも複数担当している。

テアトル・エコーでは演出家を兼ねて指導的立場となり、1969年には『ひょっこりひょうたん島』『ブンとフン』などテレビ・ラジオでの協業が多かった放送作家・井上ひさしにデビュー戯曲(実際はこれ以前に雑誌掲載のみの習作もある)『日本人のへそ』の執筆を依嘱。ブレヒト風の歌入り芝居に風刺と推理劇を盛りこみ、二重三重の劇中劇が入り組む前代未聞の作となり、主演と演出を兼ねての公演はセンセーショナルな成功を収める。以後、作・井上ひさし、演出・熊倉一雄のコンビは数年にわたって話題作を連打し日本の演劇界の話題を集め続けた。1977年には『日本人のへそ』映画版にも出演したが、ハナ肇と共に原作にない劇中劇の照明係兼(そのため出番が少ない)という扱いでのゲスト出演であり、熊倉が演じた役はなべおさみに譲られた。井上が大劇場へ転じてからはニール・サイモンなど翻訳喜劇を多く取り上げている。

1990年代初頭に『あどりぶランド』(毎日放送)の「よってたかってインタビュー」に出演した際には、「近年海外ドラマの放送が減ったせいで、我々の吹き替えの仕事も減って困っているんですよ」と嘆いていた。

そんな熊倉さん、現在84歳になられます。


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