わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

形にこだわっちゃ古びたものしか見えない

2011-08-21 22:00:00 | わしやま音楽祭Vol.14
お届けするのは

BOØWY「ON MY BEAT」

1981年、群馬県高崎市出身の氷室京介、布袋寅泰、松井恒松を中心に結成される。初ライブ後に高橋まことが加入し、1982年にデビュー。当初は6人編成だったが同年秋に2人が脱退し、以降は解散まで4人編成で活動する。

8ビートを基調としポップでありつつもシャープでエッジの効いた縦ノリのロックサウンドや、ジャン=ポール・ゴルチエをステージ衣装に使用したり、今日のロックシーンでは当たり前となった逆立てたヘアースタイルなどの斬新なビジュアルが多くの支持を集め、5thアルバム『BEAT EMOTION』と6thアルバム『PSYCHOPATH』は当時のロックバンドのアルバムとしては異例のミリオンセラーを記録した。シングルでも1987年に『MARIONETTE』が初登場1位を記録し、名実共にトップバンドへとのし上がった。

しかし絶頂の最中にあった1987年12月24日に解散を宣言。この突然の出来事は大きな衝撃を与えた。翌年1988年4月4日、5日に東京ドームで行った『LAST GIGS』にてバンド活動に終止符を打つ。このライブのチケットは僅か10分で完売、文京区の電話回線がパンクするという事態も起こり、これら一連の流れからBOØWYの人気は社会現象にまで発展した。翌月にリリースされた『LAST GIGS』はライブアルバムとしては異例とも言える150万枚のセールスを記録している。

その音楽性、「誰にも似ない」「何処にも属さない」というバンドスタイル、メディアをほとんど利用しない強気な姿勢、斬新なビジュアル、絶頂期での解散、後に起こるバンドブームの火付け役となり全国に数多くのロックキッズを産むなど、BOØWYが及ぼした影響は絶大である。解散後もベストアルバムや未発表音源がリリースされた際には常にチャートの上位にランクインしており、今日もなお日本のロックシーンに変革をもたらしたバンドとしてその地位を確固たるものとしている。音楽雑誌等ではしばしば「BOØWY以前」「BOØWY以後」と表記され、フォロワーと呼ばれるバンドやミュージシャンも数多く登場している。

この曲は、1982年デビューアルバム「MORAL」からのBOØWYの信条を頑なに表した曲。

アルバムは、ほとんど一発録りに近い形でレコーディングされた楽曲は、かなりパンク色が強く、過激な表現が問題になり、レコーディング終了時から半年以上も経てからリリースされた。この当時、ボーカルの氷室は改名する前のため、クレジットされている名前は「氷室狂介」となっている。

この曲は、ライブにおいても「BOØWYの歴史に欠かせない曲」とMCで言われている。2010年に、コブクロがアルバム『ALL COVERS BEST』でカバーしている。

アップしたのは

里田まいが生まれた日の翌日、1984.3.30新宿LOFTライブより。

0:15と0:34に写るこの少年⇒は今何をしているのでしょうか・・・もしこのブログを通じ心当たりありましたら、ご一報を・・・


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