わしやま

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僕らが生まれてくるずっとずっと前には・・・

2010-11-23 21:05:00 | わしやま音楽祭Vol.12
お届けするのは

ポルノグラフィティ「アポロ」

この曲は世紀末の1999年9月8日にリリースした衝撃的卑猥的デビュー曲。

デビュー当時のメンバーは、

野村道子と同じ潜在能力の岡野昭仁(V;アキヒト)、

泉ピン子と同じ潜在能力の新藤晴一(g;ハルイチ)、

長谷川町子と同じ潜在能力のTama(b;シラタマ)の3人グループで、

音楽プロデューサーの本間昭光(ak.homma)と企画プロデューサーの田村充義で、1999年デビュー以来彼らを支える体制をとっている。


ポルノグラフィティの原点は、因島高校在学時に新藤が中心となって結成した『NO SCORE』というバンドである。結成時は新藤と彼の従兄弟からなるバンドで、ここに同級生であった岡野やTamaらが新藤の誘いに応じて加わった。当初、新藤がヴォーカルパートを担当していたが、コーラスとしてスカウトした岡野の方が歌が上手かったことから、彼にヴォーカルを譲って自身はギター担当となった。

そのときは「音楽(ロック)への憧れ」「かっこよさそう」「青春時代独特の勢い」という理由が大きく、実際に高校の文化祭で演奏した成果は「自分たちでも下手だと感じたほど」という出来映えであったが、演奏を聴いた同級生や後輩からの声援に夢を抱くようになった。

高校卒業後の1994年頃に大阪へと移り、アマチュアバンドとしての活動を開始し、その頃より『ポルノグラフィティ』を名乗るようになる。当時は新藤・岡野・Tamaにドラマーを加えた4人組編成。当初は中尾天成がメンバーであったが1995年に脱退、代わって織畠英司がメンバーに加わった。

1995年頃よりアマチュアや若手バンドを対象としたコンテストで活躍するも、成績は2位止まりだった。1997年に織畠英司が脱退するが、同年の『ソニーミュージック SDグループオーディション』で合格、ソニー・ミュージックレーベルのSME Records(現SME Records)やアミューズとの契約を得る。これを機に上京し、活動拠点を東京に移した。

1999年9月8日、アキヒト・ハルイチ・シラタマの3人で『アポロ』をリリースしてメジャーデビュー。メンバーそれぞれの長所を発揮し、また話題を呼んだこともあって、次々とヒットを重ね、ファンを増やしていく。なお、デビュー当時は作品のほうが注目され、バンド名の認知には時間がかかってしまった。

ライブを中心にテレビやラジオ、イベントへの出演をこなすなど精力的に活動する彼らであったが、デビュー5周年を迎える直前の2004年6月にTamaがソロ活動を行うために脱退を表明。直後に発売されたベストアルバムが3人編成のラストアルバムとなった。後のメンバーの発言によれば、その頃が2009年時点において唯一、解散や活動休止を考えた時期であったという。

Tamaの脱退後は2人体制となり、『シスター』を発表してリスタート。メンバーが2人になったことで、メディアからは「2人組ユニット」として紹介されることも少なくないが、本人達は「2人組バンド」と主張している。しかし、現在では「既存や過去のポルノグラフィティの姿に留まらず、常に進化し続けよう(新たな“ポルノグラフィティ”の確立)」というコンセプトや目標を掲げ、様々なことに挑戦しながら活動している。

2009年にデビュー10周年を迎え、ライヴは通算400公演を達成、観客動員数はのべ100万人を超えている。

記念すべきデビュー曲についてですが、

発売当初はタイアップがない上、ポルノグラフィティ自体もほぼ無名であったことからオリコン・シングルチャートでは初登場84位であったが、彼らの出身地因島ではかなり話題だったようで、因島を擁する広島のチャートでは1位だった。後に音楽番組への出演や『ここがヘンだよ日本人』のタイアップもつき、オリコン週間シングルチャートでは最高5位を獲得し、累計で40万枚以上の売上を記録した。

しかし、関係者の予想以上に売れたことから、メジャーデビュー早々、一発屋の危険性をはらんでしまった作品でもある。
デビュー曲で売れすぎてしまったせいか、一時期“アポログラフィティ”というバンドの“ポルノ”という認識があった様である。

セールス的には1stアルバムよりも売れ、メンバーも「ポルノグラフィティ=アポロのイメージを払拭するのはかなり苦労した」と後に語っている。

この「アポロ」の由来は「アポロ計画」から来ているとのこと。by新藤晴一

「アポロ計画」とは、NASAによる人類初の月への有人宇宙飛行計画である。1961年から1972年にかけて実施され、全6回の月面着陸に成功した。

アポロ計画(特に月面着陸)は、人類が初めて有人宇宙船で(かつ2010年現在では唯一)地球以外の天体に到達した事業であり、宇宙開発史において画期的な出来事であるだけでなく、人類史における科学技術の偉大な業績としてもしばしば引用される。

その中で代表するのが、この歌に登場する「アポロ11号」。

「アポロ11号」といえば、1969年7月16日に月に向け発射し、7月20日に、人類初となる月面着陸し歴史に残る宇宙船。

人類初、月に足を踏み入れた時の「アポロ11号」船長ニール・アルゼン・アームストロングの言葉で歌といきましょう!

「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」


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