お届けするのは
泉谷しげる「春夏秋冬」
ジャパニーズフォークの番人の泉谷さんの代表曲を紹介します。
現在はバラエティ番組、ワイドショー番組のコメンテーター、雑誌のコラムで毒舌や罵声を飛ばしたり、TVドラマでは犯罪者、飲んだくれの汚いおじさん役など、1990年代に起きた大地震による募金でギター一本でのゲリラライブなど多方面に活躍したり、「とんねるずのみなさんのおかけでした」の「食わず嫌い王」では「最弱王」という名を持っている頑固一徹、汚らしく、お酒臭そうなオヤジの風貌なイメージであるが、ミュージシャン仲間の間では「そのように見えるが実はシャイ」だったり、身内では「孫ラブ」だったり、お酒は実は飲めない口だったりと、性格的にお人よしで素朴な泉谷さんですが、
この曲は1972年泉谷さんにとって2枚目のシングルとしてリリースされたもの。
1972年といえば激しかった学生運動がその年に起きた「浅間山荘事件」で過激で犯罪まがいな行為をしていた学生運動の中心核が逮捕され、衰退していったり、アメリカの植民地だった沖縄が本国に返還し、27年前まで戦争をしていた爪あとも徐々に消え入って、この年に「今太閤」田中角栄が内閣に就任、日本改造論で新たな都市開発が進んだり、TVなどの電化製品、自動車の発達や気軽に食事ができるファストフード店の発達など新時代へと進んでいく同様に、音楽界も海外ではビートルズ解散後をきっかけに、新たなジャンルが出てきたり、その影響も日本でも起き、フォークソング界の貴公子吉田拓郎を中心に、井上陽水、泉谷しげる、ひそかな世界ではっぴぃえんど、キャロル、サディスティックミカバンドが新ジャンルの音楽を立ち上げを本格化することとなる・・・
そのことにより、便利なものにあふれ、全盛期はバブル効果で日本は世界一に経済大国となり、いずれはバブルがはじけ、氷河期に入りつつも、モノの便利さは相変わらずであり、そのころに出てきたインターネット、携帯電話は日常生活必需品、職場必需品となり、2009年と至ったわけですが、音楽界は、新ジャンルの音楽は新しいものに刺激を求めていた若者たちの支持を得て、お茶の間に知れ渡ることとなり、同時に新生アーティストの登場で、昭和から平成になり、音楽の中心に立ち、メジャーなジャンルとなっていくのだけど、電化製品の発達で、今はひとりひとりが音楽を選択できる状態で、世間が言っている大ヒット曲を知らなくても生きていける環境になっている。
この曲は誕生した1972年は潜在能力点火法では始まりの意味の「1」、干支は「ねずみ」で先頭という、始まりと始まりという、36年に一度起こる現象(潜在能力点火法は9パターン、干支は12パターンで9と12の最小公倍数は36だから)で、今日ですべてが終わるさ:それまで積みかさねったものは通用しなくなり、すべてが始まる意味があると感じ、暗い過去を捨て、光の指す新時代を見ていこうという泉谷さんのメッセージが伝わるものとなっている。
この現象は36年後の2008年に起きていて、2009年は1973年に相当するもの、これから先のことを見て人生を渡り歩いていきましょう!
1979年泉谷さんの盟友仲井戸麗市(チャボ)さん率いる「古井戸」の解散ライブで、ライブに登場した泉谷さんとチャボさんとの共演をご覧ください。
泉谷しげる「春夏秋冬」
ジャパニーズフォークの番人の泉谷さんの代表曲を紹介します。
現在はバラエティ番組、ワイドショー番組のコメンテーター、雑誌のコラムで毒舌や罵声を飛ばしたり、TVドラマでは犯罪者、飲んだくれの汚いおじさん役など、1990年代に起きた大地震による募金でギター一本でのゲリラライブなど多方面に活躍したり、「とんねるずのみなさんのおかけでした」の「食わず嫌い王」では「最弱王」という名を持っている頑固一徹、汚らしく、お酒臭そうなオヤジの風貌なイメージであるが、ミュージシャン仲間の間では「そのように見えるが実はシャイ」だったり、身内では「孫ラブ」だったり、お酒は実は飲めない口だったりと、性格的にお人よしで素朴な泉谷さんですが、
この曲は1972年泉谷さんにとって2枚目のシングルとしてリリースされたもの。
1972年といえば激しかった学生運動がその年に起きた「浅間山荘事件」で過激で犯罪まがいな行為をしていた学生運動の中心核が逮捕され、衰退していったり、アメリカの植民地だった沖縄が本国に返還し、27年前まで戦争をしていた爪あとも徐々に消え入って、この年に「今太閤」田中角栄が内閣に就任、日本改造論で新たな都市開発が進んだり、TVなどの電化製品、自動車の発達や気軽に食事ができるファストフード店の発達など新時代へと進んでいく同様に、音楽界も海外ではビートルズ解散後をきっかけに、新たなジャンルが出てきたり、その影響も日本でも起き、フォークソング界の貴公子吉田拓郎を中心に、井上陽水、泉谷しげる、ひそかな世界ではっぴぃえんど、キャロル、サディスティックミカバンドが新ジャンルの音楽を立ち上げを本格化することとなる・・・
そのことにより、便利なものにあふれ、全盛期はバブル効果で日本は世界一に経済大国となり、いずれはバブルがはじけ、氷河期に入りつつも、モノの便利さは相変わらずであり、そのころに出てきたインターネット、携帯電話は日常生活必需品、職場必需品となり、2009年と至ったわけですが、音楽界は、新ジャンルの音楽は新しいものに刺激を求めていた若者たちの支持を得て、お茶の間に知れ渡ることとなり、同時に新生アーティストの登場で、昭和から平成になり、音楽の中心に立ち、メジャーなジャンルとなっていくのだけど、電化製品の発達で、今はひとりひとりが音楽を選択できる状態で、世間が言っている大ヒット曲を知らなくても生きていける環境になっている。
この曲は誕生した1972年は潜在能力点火法では始まりの意味の「1」、干支は「ねずみ」で先頭という、始まりと始まりという、36年に一度起こる現象(潜在能力点火法は9パターン、干支は12パターンで9と12の最小公倍数は36だから)で、今日ですべてが終わるさ:それまで積みかさねったものは通用しなくなり、すべてが始まる意味があると感じ、暗い過去を捨て、光の指す新時代を見ていこうという泉谷さんのメッセージが伝わるものとなっている。
この現象は36年後の2008年に起きていて、2009年は1973年に相当するもの、これから先のことを見て人生を渡り歩いていきましょう!
1979年泉谷さんの盟友仲井戸麗市(チャボ)さん率いる「古井戸」の解散ライブで、ライブに登場した泉谷さんとチャボさんとの共演をご覧ください。