わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

終わることのない、旅路の果てで

2010-05-05 19:48:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
お届けするのは

子供ばんど「SILENT SURVIOR」

「こどもの日」にちなみ、子供がバンドをしているということで、NHKが間違って取材を受けたことがあるれっきとした大人なバンドで、1973年結成し、1980年のメジャーデビューを果たし、うじきつよしを中心に、年間ライブ数300ほどこなし、1988年の解散までのべ2000回のライブをこなすほどスタジオにこもって音楽制作より、外に出て、精力的にライブ活動を行うことに焦点を置いていた。

この曲は1984年から放送されていた「北斗の拳」の第二主題歌でおなじみですが、2007年いリマスタリングして再リリースしているナンバー。

音楽祭で取り上げましたが第一主題歌「愛をとりもどせ」は主人公ケンシロウのテーマ曲なら、

この曲はケンシロウと死闘を繰り返すラオウのテーマ曲だと思います。

ラオウについて、

その生い立ちや北斗神拳継承者候補となった経緯については、作中で矛盾する描写が幾つかある。しかし、いずれにせよ、幼少期に両親を失い、その理不尽な経験から己の意に沿わないものは力をもってねじふせる、という思考を持つようになったのは確かである。「ラオウとトキの二人のうち、養子にむかえるのはどちらか一人」としてリュウケンに崖に突き落とされるが、気絶したトキを抱えて片手で崖をよじ登ってみせたエピソードなどは彼の性質をよく表している。

そうした信念を他人にも強要するところがあり、無抵抗を条件に助命を求めてきた村落の長を「服従のみの人生に何の意味もない」としてあっさりと殺害(アニメ版では生存)している。自身に想いを寄せるあまり自害して果てたトウに対しても「自分が欲しければ、殺してでも手に入れれば良い」と言ってのけた。

幼少期の修行時代にもこうした面はあり、稽古で打ち倒したトキが涙を流すのを見て「泣くな!涙など流してはならぬ」と言い放っている。またケンシロウに対しては、彼がまだ幼いため修行はおろかリュウケンの道場に入ることも許されていなかった頃、リュウケンに無断でリンチ同然の修行を行い、これを目の当たりにしたリュウケンに「才なき者がいずれここから追放されるなら、それをわからせるのがこいつのため」と謝ることなく堂々と言い切った。

しかし、自ら片足を切断して差し出したファルコの願いを聞き入れて軍を転進させるなど、立場は違っても強い意志を持った人間に対しては敬意を払っている。また、バランに目をかけたりシャチを可愛がったりするなど、意志が強く見所のある少年にも好意を示している。その他、過去にユリアを求めてシンのいるサザンクロスへ攻め込みながら何もせずに去るという、後にユリアをリハク配下の従兵を殺して奪い去るという行動とは全く反対のことを行っている。

その拳を封じようと追い詰めたリュウケンが病の発作に倒れ、ただ一人恐れた拳の持ち主トキもやはり病に冒され、障害となっていたサウザーをケンシロウが倒してしまうなど、その覇道は運に恵まれていた一面もある。それを当人もどこかで自覚しつつ、天を目指す自分と、神もまた戦いたがっているとの強固な自負に変えていた。

また、無想転生を身につけたケンシロウや、その後のフドウとの対戦などで、運や情けによって命を拾った場面では、それを屈辱として怒り狂うこともあった。

一方で慎重な部分もあり、後述するレイを含め戦う相手に「死兆星を見たか」と問い、「見た」という相手としか戦わなかった。そのレイとの戦いでは部下がレイに倒される様子を観察することで動きを見切って完勝し、サウザーに対してもケンシロウとの戦いを観察して経絡秘孔の効果が現れない彼の秘密を見極めようとしていた。

後にケンシロウ、ヒョウと同じく「北斗宗家」の血統(オウカ、リュウオウを祖先とする傍流)であったことが明かされる。ケンシロウは修行時代のラオウを「失われた北斗の男」と評したほか、三度に渡り死闘を繰り広げたことで「あなた(ラオウ)が最大の強敵(とも)だった」と評した。また、リハクはラオウが無想転生を体得したことで「北斗神拳伝承者」としての才があると認めた上で、ケンシロウと合わせて「天は2人の伝承者を生み出した」と評した。






最新の画像もっと見る