わしやま

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汗をかいたのでひとやすみ、ひとやすみby一休

2011-02-13 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

かぐや姫「うちのお父さん」

本日はリードボーカルを務めている南こうせつさんのおたんじょうびということであっぷしました。


この曲は1974年4枚目のアルバム「三階建の詩」に収録したもので、前年シングル「神田川」がオリコンチャートで1位を獲得し、大ヒットし多くのファンをつかみ、このアルバムもオリコンアルバムチャートで1位を獲得している。

このアルバムについて、リーダーの南こうせつが「メンバー全員に平等に印税が入るよう」平等な曲作りを提案し、伊勢正三、山田パンダの二人にも曲作りのノルマを課した。

このアルバムには、名曲ぞろいで、22才の別れ、なごり雪、赤ちょうちんなどの代表曲が収録されている。

そんな瀬戸朝香と同じ潜在能力のこうせつさんですが、

わしやま音楽祭ではvol.2で「夏の少女」以来で、

経歴として、

大分市(旧:大分郡竹中村)の曹洞宗勝光寺の生まれ。大分県立大分舞鶴高等学校卒業、明治学院大学社会学部中退。寺は次兄・光洋が継ぐ予定だったが早世し、現在は、東京でサラリーマンをしていた長兄・慧昭(えしょう)が定年退職後に跡を継ぎ、住職を務めている。その長兄は2006年に民教協のドキュメンタリー番組「生きる×2」(大分放送制作)で取り上げられた。尚、竹中と言う地名は、かぐや姫の楽曲「ひとりきり」の歌詞にも出てくる(南が作詞を担当)。

1970年4月『最後の世界 / むなしいうた』でソロデビュー。同じ年10月「南高節とかぐや姫」としてベース奏者、大島三平らと『酔いどれかぐや姫』をリリース。認知度を上げるため所属事務所の指示で全日本歌謡選手権に出場。4週勝ち抜いたところで、その目的を果たしたということもあり翌週以降の出演辞退を申し出た。その後山田パンダ、伊勢正三と新生かぐや姫 を結成。かぐや姫解散後ソロ活動。全日本歌謡選手権は辞退ではなく、竹中労に「フォークをやるならこの番組に出るべきでない」と言われ落選した。

1980年代はサマー・ピクニックというオールナイトの野外コンサートを毎年九州で中心となって開催し、多数の観客を集めた。

1983年9月には、ジョン・デンバーとデュエットで故郷へかえりたいを歌った。

2009年9月には、こうせつの還暦記念としてつま恋でサマー・ピクニック・コンサートが行われた。

1993年12月1日に福岡ドーム、12月2日に東京ドームで行なわれたサイモン&ガーファンクルの来日コンサート「Event of a lifetime Tour」東京公演で、前座を務めた。その中で、こうせつ自身が(自身も尊敬する)「サイモン&ガーファンクルの前座で緊張してんだぞ」と発言。コンサート前のスタジアムを盛り上げる。
なお、名前を平仮名表記にしているのは、レコードに印刷された「南高節」という文字を見て、「私はこの『なんこうぶし』という曲を聴いてみたい」とこうせつの祖母が発言したから、と本人が「徹子の部屋」で解説しているがネタの可能性も高い(小室等がこうせつの持ってきたデモテープのラベルに「南高節」と書かれていたのを、「なんこうぶし」と読んだというエピソードもある)。

蓮池薫が帰国した直後、自作曲を入れたMDを送り話題を呼んだ。

2010年6月13日放送のザ☆スターで杵築の自宅の高大な土地で気に入った樹木を植えて育てており、仕事を終えて自宅に戻ると決まってそられの樹と話をすると言う。また、家庭菜園にも勤しんでいると紹介された。更に同番組で南の歌声を日本音響研究所で分析した所、通常人には聞こえない超音波の域まで声が出ている事と風鈴や梵鐘の音にみられゆらぎが見られている事が聞く者に癒しを与えると言う結果が出た。

オペラ歌手の錦織健が、中学の頃かぐや姫の歌をギターで弾き語りしており、南に憧れていたと語り、ステージて「帰れソレントへ」を二人で歌った。


エピソードとして、

かつて大の飛行機嫌いであったため、国内移動ではできる限り陸路を使っていた。過去に飛行機での移動がストレスとなり、あまりの恐怖で手にカビが生えるという奇病にかかったことがある。現在は、飛行機嫌いは克服している。

明治学院大学を中退しているが、上京する理由を作るために大学進学したため、実際には殆ど通うことなく中退している。

現在は大分県杵築市に広大な土地を購入して家族と生活しており、仕事が入れば東京へ出てきている。それまでは富士山の麓などで生活するが、夫婦共に冬の寒さに限界を感じたのがきっかけで大分県への引っ越しを決意する。

明豊中学校・高等学校の校歌を育代夫人と共に手がけている(夫人作詞・こうせつ作曲)。また、杵築市立山香中学校の校歌も手がけている(こちらは作詞・作曲ともにこうせつ)。

1976年1月に、日本人アーティストとして初めて日本武道館にてワンマン公演を行う。後にライブ・アルバム 「グッド・バイブレーション/ミスターKOSETSU イン武道館」を発表。

普段の活動で見せる人の良さとは裏腹に吉田拓郎より喧嘩が強いらしい。新幹線で移動の際に同じグリーン車両で酒を飲んで横柄な態度をとっていたヤクザに対し、胸座をつかんで「ハイ!!皆さん、どうも南こうせつでございます。こういう方は許して良いんでしょうか皆さん」と言ったという。ラジオ番組『伊集院光 日曜日の秘密基地』(2005年8月28日放送)にて長渕剛が語った。

『鶴瓶の家族に乾杯』(2001年9月29日放送)のロケが在住の杵築市で行われた際、地元住民の1人として出演したことがある(南は、この番組にゲストとして出演したことはない)。

細野晴臣のアルバム「トロピカルダンディー」収録曲で且つシングルでも発売された(アルバムと同日発売)「絹街道」に「ホイヤー」と言うコーラスで参加している。一方、細野も同時期に南のアルバム「かえり道」にエレキベースで参加している。

今のところ、板尾創路とユニット組んだり、谷村新司、泉谷しげる、さだまさしらのフォークソング仲間でラジオ番組をしたり、盟友伊勢正三、ばんばひろふみ、太田裕美らでジョイントコンサートを行ったり、自身も大都市、地方都市問わずギターを抱え、おいちゃんはまた歌う感じで活躍中である。

ちなみにこうせつは本名南高節であり、実家は曹洞宗のお寺で、後を継いでいる。



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