わしやま

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2011-02-18 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

The Beatles 「Ballad of John & Yoko 」

本日はメンバーのひとりジョン・レノンの二人目の妻オノ・ヨーコさんのお誕生日ということであっぷしました。

本日78歳になられましたが、プログレッシブ、ハード、グラムなどの新たなるジャンルが登場した1970年代のロックの歴史において、ジョン&ヨーコによる「LOVE&PEACE」も1ページに数えられる。

圧倒的人気の中で、ロックの歴史において大きな変化を作り上げたビートルズを解散させた女として非難されつつも、ジョンとともに「LOVE&PEACE」を貫き通し、音楽路線が違うことが元で夫ジョンが凶弾に倒れ、それでも自分たちがしたことは間違いではないことを今このことを通じ、争いごとのないよう願うばかりである。


この曲は、1969年20枚目のシングルとしてリリース、アメリカ8位、イギリス1位(ビートルズ最後の1位)、日本11位。

レノン=マッカートニー作。実質的にはジョン・レノンの作品。リード・ボーカルはジョン・レノン。 ジョンがオノ・ヨーコと再婚した時の騒動を綴った、ビートルズの公式発表曲としては唯一のジャーナリスティック・ソング。邦題では「バラード」とされているが、正しくは物語のある歌「バラッド (ballad)」である。このため、時間を空けずにリリースすることが最優先され、ジョージ・ハリスンとリンゴ・スターの参加を待たず、ジョンとポール・マッカートニーの2人だけで録音された。ジョンがアコースティック・ギターとリード・ボーカルを、それ以外のすべての楽器とバック・コーラスをポールが担当した。それでも、ジョンは「テンポを上げてくれ、リンゴ」とポールに合図を送り、ポールが「オッケー・ジョージ」と4人で録音している気持ちで臨んでいたという。この時期のビートルズは人間関係がうまくいかなくなっていた時期であったが、レコーディングはスムーズに行われたという。

アメリカでは「ちくしょう!(Christ!)容易なことじゃない。このままじゃ、俺は晒し者にされちまうよ。」というくだりが、キリストを冒涜しているとして、放送禁止にしたラジオ局が多かった。レコーディング時に、ポールは「この歌詞だと本気で誰か怒り出す」と、この歌詞で録音することを躊躇したそうだが、ジョンが強引に押し切ってレコーディングした


ポール・マッカートニーとの関係は、

オノとポール・マッカートニーは不和の関係にあったとの評価が一般的である。

争点の一つとなっていたのは、ビートルズの楽曲クレジットに関する問題である。ビートルズの活動中、ジョン・レノンかマッカートニーの書いた曲は、どちらが書いても、また共同で書いても、すべて「レノン=マッカートニー」名義とされた。レノンの死後、マッカートニーは、彼単独で、または彼主導で書いた『イエスタデイ』などの曲について、クレジットの順序を「マッカートニー=レノン」と変えようとした。オノはこれを認めず、レノンの生前に二人が取り交わした協約に違反すると非難した。マッカートニー側はこれに反論、そのような協約は存在しなかったとする。他のビートルズメンバー二人が、クレジットは従来どおりにとどめるべきだと意見すると、マッカートニーは要求を撤回した。しかし2002年、この論争が再燃する。マッカートニーはアルバム『Back In The US Live 2002』で、ビートルズ時代の19曲について「作詞作曲ポール・マッカートニー、ジョン・レノン」と記したのである。なお、同作の元となったツアーにて、オノは招待券を依頼したが、マッカートニーは「仲の良い友人というわけではないから」という理由で断っている。

しかし1995年、二人は共同制作を行った。マッカートニーとその家族、オノとショーン・レノンとで『ヒロシマ・スカイ・イズ・オールウェイズ・ブルー』を作ったのである。これは広島原爆投下五十周年を記念する曲であった。オノについて、マッカートニーはこう述べている。「彼女は冷たい女だと思っていたけど、間違っていたよ。(中略)その正反対だった。(中略)彼女はただ、断固として自分自身であろうとしているだけなんだ。たいていの人よりもね」

2005年にQアウォードを受賞したとき、オノはマッカートニーの作曲を侮辱しているともとられるコメントを述べ、メディアで物議をかもした。彼女はこう述べたのである。レノンはあるとき自らの作曲に不安を抱き、「なぜ他のミュージシャンはいつもポールの曲をカバーして、僕のはしないんだろう」と訊いた。オノはこう答えたという。「あなたは優れたソングライターよ。あなたが書くのは『スプーンを手に六月』(June with spoon)みたいなのじゃないわ。あなたは優れたシンガーだから、多分ほとんどのミュージシャンは怖くてあなたの歌をカバーできないのよ」[2] ("June with spoon"は、適当に韻を踏んだだけの内容のない歌詞という意)オノの発言に明白な侮辱の意図があったかどうかには、議論の余地が残る。ヘザー・ミルズ・マッカートニーは、夫がこの件をどう受け止めているか聞かれ、こう語った。「そんなこと、彼は知りもしないわ。ヨーコの音楽がポールの音楽に比べてどれだけ成功しているか、考えてみなさいよ。おのずから明らかでしょう」

オノは後に声明を出した。彼女の言葉はジョンを慰めようとしたもので、ポールを攻撃するものではなく、他意はなかったとしている。また、自分はマッカートニーを尊敬しており、マスコミが自分の言葉を文脈から切り離して報道したのだと付け加えた。

さらにオノはこう述べている。「私とポールが喧嘩しているとか、そんなのんきな話題が人々には必要なのね。この世の恐怖を逃れるために。でも、それはもはや真実じゃない。(中略)私たちは過去、何度も衝突してきたわ。でも今はジョンのパートナーだったポールを尊敬しているし、ポールはジョンの妻だった私を尊敬しているわ」

また、2001年のMojo誌インタビューでビートルズの曲で何が一番好きかと問われた際には、「ビートルズ時代の作品に関しては、私は実はジョンの曲よりもポールの曲のほうが好きなのです。」と打ち明けている。

2008年6月1日にはアンフィールドで行われたマッカートニーのコンサートに姿を見せている。このコンサートでマッカートニーはレノン作曲の『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』〜『平和を我等に』のメドレーを披露した。


あれから「LOVE&PEACE」を唱え40年以上が経ちますが、ジョン・レノンは今の世界をどう見ているのでしょうか・・・


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