わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

屋根より高い

2010-05-05 08:00:00 | わしやま音楽祭Vol.7~8
今日は5月5日「こどもの日」ということで、

「童謡  こいのぼり」を持ってきました。

歌っているのは岩男潤子さん。

岩男さんとは、

フジテレビの高島彩氏と同じ潜在能力でありますが、少女時代に赤い鳥(のちに紙ふうせんとハイ・ファイ・セットに分裂)や松任谷由実などに憧れて歌手を志すようになる。13歳の時に夢を追って大分から単身上京。芸能事務所に所属し、レッスンを受けた後、いわお潤の芸名で女性アイドルグループ「セイントフォー」の妹分としてデビュー。メンバー脱退に伴い正式メンバーとなるも、その後グループは解散。

解散直後、石井光三氏(18歳以上のビデオ出演ありの俳優であり、芸能事務所社長でもありコント赤信号、磯野貴理など輩出している)とのデュエットソング「ねぇ、お父さん」ポリドールで初シングル発売。当時は「潤」として活動。

その後は童謡歌手やNHK教育テレビの『はてなサイエンス』への出演などを経て一時は引退も考えるが、最後のチャンスとして受けたアニメ『モンタナ・ジョーンズ』のオーディションに合格し、1994年に声優デビュー。当時のアイドル声優ブームとも相まって、徐々に人気声優として認知されていくようになる。その間にキヨスクなどでアルバイトをしながら生計を立てていたと後に自らのラジオ番組などで語る。

1995年には、「シャッターチャンスの連続」で夢であったソロ歌手としてもデビューし、井上喜久子との期間限定デュオ「おさかなペンギン」でも活動した。これは当時のアニメ『らんま1/2』での楽曲の仮歌を岩男が歌っていた縁であり、ペンギンの由来は「緊張すると手がペンギン」からきている。代表曲は、ほかに「手のひらの宇宙」、「翼になれ」など。1995年12月23日に、初のソロコンサートを東京・TBSホールで開催。

1997年11月それまで在籍していた81プロデュースからスターボードへ移籍。翌1998年2月14日に自らの楽曲を多く手掛けた作曲家・山本はるきちと結婚。

1999年から2000年にかけて、初のコンサートツアーを決行。1999年1月8日の中野サンプラザを皮切りに、同年3月25日にNHKホールでも開催。年が明けて2000年1月5日、1月6日に渋谷公会堂で開催。9月9日に日比谷野外大音楽堂、そして、2000年12月28日、東京・新宿の東京厚生年金会館で、FINALを迎えた。

2001年11月、出身地である別府市の「ONSENツーリズム別府特別観光大使」を委嘱される。

2004年12月末日をもってスターボードから独立。長年続いてきたファンクラブ「FC GOO」を解散した。そして2005年にプライベートオフィス「J .Island」(ジェイアイランド)を設立。同年4月下旬より、新しいファンクラブ、サポートクラブ「J.I club」(ジェイアイクラブ)を発足させた。

一時病気休養を挟んだものの、近年は主にライブハウスでのライブ活動や歌手としての活動を中心に行っており、2004年9月20日には、関西での活動拠点である京都・四条寺町のライブハウス「都雅都雅(とがとが)」での50回目のメモリアルライブを迎えた。

2005年12月23日、初のソロコンサートから丁度10年目の節目の日にクリスマスコンサートを神奈川県立音楽堂で開催。

山本はるきちのプロデュースの下、相曽晴日や谷山浩子から多数の歌詞や楽曲の提供を受けていた。

2007年5月、プライベート面・音楽面ともに山本はるきちと袂を分かち、離婚する。

また、一時期ほとんど行っていなかった声優活動を2006年頃から再開している。その理由として、『名探偵コナン』にゲスト出演した際に、山本圭子から励まされ勇気づけられたことがきっかけだったという事を後に明かしている。

声優の特色として、声域が広く、声色を変えた演技が出来るため、少女、少年役から大人の女性役、母親役、さらに岩男の「裏キャラクター」である「悪男づん子」のような特異な役の声まで演じられる。『To Heart』では来栖川姉妹の二役(内気な姉・芹香と活動的な妹・綾香)を巧みに演じ分けた。




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