夕日さすまに いそしめよ(旧「今日までそして明日から」)

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永遠の命に至る食べ物

2012-07-31 18:25:49 | 日曜日のメッセージ
 ヨハネによる福音書6章22~27節。ヨハネ福音書6章は五千人のパンの奇跡のあと、命のパンに関するイエスの講話が長く続く。本日の個所の27節によると、イエスという命のパンの特色は、「いつまでもなくならない、永遠の命に至る食べ物」だということである。しかも、そのあとの「父である神が、人の子を認証されたからである」という言葉から分かるように、神様の折り紙付きで、間違いがないというのである。イエスこそ神に認められた正真正銘の命のパンだと言っているのである。
 普通のパンは体の糧であり、感謝をもって受ければ心の糧にもなるけれども、食べればなくなってしまい、再びそれを得るために人はあくせく働かなければならないのである。「朽ちる食べ物」とはそういうことである。「朽ちる」とは「滅びる」とか「失われる」とか「なくなる」という意味をもっている。それに対して、イエスという命のパンは「いつまでもなくならない、永遠の命に至る食べ物」と言われている。「いつまでもなくならない」と訳された言葉はヨハネ福音書が好む言葉で、「滞在する」、「留まる」、「つながっている」などの意味がある。他の個所ではそう訳されている。命のパンであるイエスはいつも私たちのもとに留まってくださるということである。だから、地上の食物のように食べればなくなり、それを得るためにまたあくせくと働かなければならないのとは異なるということだ。お金がなくなったらどうしよう、仕事がなくなったらどうしようと、心配する必要がない食べ物、食べようと思えばいつでも備えられており、それを食べる人に「永遠の命」を約束する食べ物なのである。
 この「永遠の命」というのは、ヨハネ福音書の中心テーマとなっている言葉であるが、この肉体の命がいつまでも生き長らえるということではなくて、神様に結ばれたことによる本当の命、ぶどうの幹であるイエスにつながった命ということであり、6章39節、40節によると、やがては終わりの日の復活という究極の救いに辿り着く命とされている。こういう食べ物をせつにもとめるようになりなさい。これが、パンの奇跡で熱狂した群衆に対するイエスのメッセージであった
 私たちも「永遠の命に至る食べ物」を求めていつもイエスのもとに赴きたいと思う。しかし、この食べ物、イエスという命のパンを食べるとはどういうことであろうか。これは6章35節で、「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と言われていることから明らかなように、イエスを「信じる」ということであり、信じて命の御言葉を味わうということにほかならない。主イエスは死んで復活された後、御言葉と聖霊という姿でいつも我々の教会共同体のもとにとどまっておられる。イエスを信じて教会の礼拝に集まる者はいつも永遠の命の糧にあずかることができるのである。

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