夕日さすまに いそしめよ(旧「今日までそして明日から」)

人生、宗教、世相、趣味などを思いつくままに記す

真夏のひなたぼっこ?

2012-08-27 15:07:26 | ペット
 真夏のひなたぼっこ? ミーミ 8/27 2pm. あつーくなってました。数分間だけでしたが、きもちよさそうな顔していました。ときどきこういう行動をします。きょうはわざわざブラインドの横をくぐってひなたぼっこをはじめました。たぶん、体温調節なんだろうと思います。人間には弱いエアコンも猫のミーミには底冷えがするのではないでしょうか。 . . . 本文を読む

死をみつめ、今を大切に生きる

2012-08-26 20:33:57 | 読書
 牧師をやっていて多くの方の喪の仕事に携わりました。そのことをとおして、ここでこそ希望のメッセージが語れなくてはという思いを深めました。「死」は自分の宣教の課題であり、また自分自身の人生の最終的課題です。8月はなぜかこの問題を考えようという気持が強くなります。今年はこの本を読んでみました。クリスチャンでない人の講演も含まれています、全体にキリスト教そのものを前面に出した本ではありません。自分の死を見つめることはこわいですが、それを避けてはならないという前向きな思いを新たにしました。10年前に出た本ですが、内容的には古くなっていません。字が大きくて読みやすいです。本はアマゾンで古本で買いました。 . . . 本文を読む

律法からの解放

2012-08-26 19:05:41 | 日曜日のメッセージ
 ローマの信徒への手紙7章1~6節。ここの律法論議はなかなか難しいものがある。律法そのものは文句なく神の善い贈り物なのだけれども、その善なるものが人間の罪の作用によって無力になり、正しく働かなくなっている。律法がかえって罪を喚起し、ますます人間を罪の奴隷にしてしまっている。そんなことを言おうとしているのである。また、ファリサイ派のユダヤ人だったパウロは、その律法主義の中に欺瞞的なもの、律法の本来の意図とは違うものを感じざるを得なかったのではないだろうか。律法が命の道として与えられることによって、人はこれを利用して自分の力で永遠の命を確保しようともくろみ始めるのである。つまり、ポイント計算を始めるのである。ファリサイ派の安息日律法など最もポイント計算しやすいシステムである。234箇条もある戒律をどのくらい順守できたかで、自分が今どのくらい神の前に義を確保できているかが分かるからである。それはもはや神の栄光をあらわすのではなく、自分の義を自分で増し加えようというむさぼりの世界である。 . . . 本文を読む

教会創立記念日を覚えて

2012-08-25 00:41:11 | キリスト教
 7月25日は教会の創立記念日だ。浜松教会はこの辺一帯のカナダメソジスト教会の伝道によって初穂として始まった。1884年、連尺町付近の借家に講義所が設置され、新撰組に加わったこともあるという結城無ニ三が着任する。耶蘇教排斥運動の煽りで投石がなされるなか、結城は説教を続け、教会の礎が築かれた。1945年4月30日爆撃により会堂は大破、同6月17日には焼夷弾により焼失した。1949年に会堂再建、創立100年に当たる1984年には第6次会堂建築が行われている。今年で創立128年。牧師は現在29代目である。 . . . 本文を読む

突然静岡聖文舎がやって来た

2012-08-25 00:29:59 | 読書
 夕方6時頃、突然静岡聖文舎がやって来た。夏で日も長く、久しぶりにクルマに積んでいる本を見せてもらった。その中から2冊を入手した。それもまた、久しぶりに礼拝関係の本を。吉田雅人「特祷想望」聖公会出版とフェレスター他・桑原昭訳「神との出会いー現代の礼拝論」一麦出版社。前者は聖公会の特祷の解説と黙想、後者はエディンバラ大学の3人の神学者による啓蒙的な礼拝論である。 . . . 本文を読む

『50のドラマで知る世界の歴史-共生社会の再構築へ』マンフレッド・マイ著 小杉尅次訳 ミネルヴァ書房

2012-08-23 17:31:31 | 読書
 最近はロシア、中国、韓国といった周辺諸国との間で、領土のことでもめ事が起こっています。単純なナショナリズムで動けば関係は直ちにきな臭くなりそうです。そんなとき世界の歴史を大局的に振り返ってみるのも有益だと思います。本書は半年ほど前に縁あって訳者から贈られたものです。下記紹介文の能書きにあるように、読み出したらとまらなくなりました。内容も読みやすいし、なんといっても訳文がとてもよくできています。「わたしたち現代人には分劃された世界各地に、分断化され、孤立した国内政治が存在するのではなく、世界全体を包み込むグローバルな世界政治だけが存在するということです。わたしたちが生きていく世界は、そうした国際的共生社会でなければなりません。それゆえに、この時代の政治は、対立を作り上げるのではなく、その真反対の方向、すなわち共存や共生を創造するところに正しく使命を見出すべきでしょう」(本書エピローグから)。 . . . 本文を読む

村上春樹の短編「めくらやなぎと眠る女」を読む

2012-08-23 09:55:55 | 読書
 主人公はある日、伯母に頼まれて中学生のいとこを病院に連れて行く。そのわずか3時間あまりの平凡な出来事がこの話のベースになっている。この小説にはいくつかの死のモチーフが散りばめられている。そもそも主人公が実家に帰ってきたのは祖母の葬儀のためだった。病院の食堂で中年の夫婦が肺癌で入院している知人の話をしている。また、回想シーンで高校時代ガールフレンドの見舞いに付き添ってあげた友達は、少し後で死んだとされている。死は壁一つ隔ててすぐそこにある。いつどういう理由で死が人を襲うかは分からない。その無気味さが小説全体に漂っている。死はあの羽音も立てずにめくらやなぎの花粉をつけて耳の穴に入ってくる蠅のように忍び寄ってくる。誰もそれを避けることができない。 . . . 本文を読む

肉の人と霊の人

2012-08-17 18:56:43 | 日曜日のメッセージ
 コリントの信徒への手紙一 2章11節~3章9節。パウロはこの三章で「霊の人」と「肉の人」を対照的に描いているが、ここには少々皮肉が込められていると言われている。自分たちはすでに完全になった、「霊の人」となったと言っているコリントの人々を、パウロは君たちはまだ「肉の人」だと非難しているからである。三章一節では「兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました」と言う。彼らは自分たちを「霊の人」になったと有頂天になっていたのであろう。が、実際には人間的なねたみや争いが絶えず、相変わらず「肉の人」であることを暴露しているではないかと三節以下では指摘しているのだ。目を覚まして冷静になりなさいと訴えているのである。そして、自分が伝えた十字架の福音に立つことを止めたから、こういう結果になるんだとパウロは言いたいのだろうと思う。 . . . 本文を読む

世に打ち勝つ信仰

2012-08-11 17:40:22 | 日曜日のメッセージ
 ヨハネの手紙一5章1~5節。ヨハネの手紙の一つの特色は、教会に対して兄弟愛を強く求めているということである。この手紙を読むと著者が至るところで、「愛し合いなさいよ」「くれぐれも愛し合いなさいよ」と言っているのを感じる。信じる仲間同士がよい関係を保ち続けること、お互いのために配慮を厭わないこと、互いに重荷を負い合うこと、そういう愛の姿勢が根本的に重要であると、この手紙は口を酸っぱくして述べているのである。それが教会形成の柱だと考えるからだろう。それなしに真実の教会にならないということだ。 . . . 本文を読む

キリスト教の埋葬式

2012-08-11 15:36:41 | キリスト教
 人は死してどうなるのでしょうか。お墓は問いかけています。お墓が存在するということは、一人の人間の生涯が忘れてはならない、価値のあるものであることを証言しています。それはまた、神が永遠にその人を忘れたまわないことのしるしだとも言えるでしょう。「わたしたちの本国は天にある」(フィリピ3:20)。お墓は終わりの日が来るまで、姉妹に与えられた永遠の命、体のよみがえりの希望を証しするものです。心を静め黙祷するなか、蝉しぐれがそれぞれの思いを天に取り次いでいるように感じました。 . . . 本文を読む