夕日さすまに いそしめよ(旧「今日までそして明日から」)

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飼い葉桶と羊飼い

2012-01-05 14:39:53 | 日曜日のメッセージ
 ルカによる福音書2章1~20節。イエス・キリストの誕生を最初に告げられたのは、羊飼いたちであった。ここにもキリストの福音の特色があらわれている。羊飼いというのは、我々が思い描くような呑気な職業ではない。イスラエルはとうの昔に牧畜社会から農耕社会へと移行していた。そして、羊飼いは貧しく日の当たらない仕事になっていた。野宿をしたり、夜通し働いたりしなければならないため、やりたがる人もいなかった。羊を追って危ない岩場を探し歩いたり、ときには狼と戦ったりもしなければならなかった。だから、羊飼いになる人というのは、イエスの時代では社会の最下層にある人たちであった。また、そういう人たちは律法をきちんと学ぶ機会がなかったので、当時の社会では蔑まれていたと言われる。誇れるものなど何もない人たちであった。
 そういう羊飼いのような人たちに最初に救い主の誕生が知らされたということは、キリスト教の福音は社会の上層部に伝えられればいいものではなく、世のあらゆる人々に伝えられるべきものであることを意味している。福音の恩恵にあずかれない人、あずからなくてもいい人はひとりもいない。
 また、イエスが飼い葉桶に寝かされ、飼い葉桶がイエスという救い主のシンボルとされていることも同様のことを意味している。自分が旅先で生まれ、しかも宿屋がどこも一杯で居場所がなく、飼い葉桶に寝かされたと聞いたら、皆さんならどう思うだろうか。あまりの惨めさに悲しくならないだろうか。飼い葉桶とは文字通り牛馬が食べる干し草などを入れる桶のことである。汚くてくさい臭いのする納屋のような場所を連想させられる。今ならば、母親となる人は臨月になれば体を大事にし、長旅のような無理はしないであろう。また、身ごもった時点から定期的にドクターの検診を受け、生まれたら清潔なベッドに寝かされる。また、お母さんが手伝いに来てくれたり、友人やまわりの人たちがお祝いに来てくれる。しかし、イエスにはそのどれもなかった。イエス・キリストほど低いところに生まれた者はいない。だから、このこともイエスがすべての人の救い主であることを暗示している。キリストの救いの対象外にある人はひとりもいないということだ。イエス・キリストは万人のメシアであることがここからも分かるのである。

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1 コメント

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真実は (ゆり)
2013-09-27 03:40:14
聖よしこの夜に馬槽のなかに飼い葉桶の中に私見たことあるのは動物園や牧場に遊びに行った時に仔山羊が飼い葉桶に飼い葉桶の中に入っているのあら大きくなると入らなくなると本当に飼い葉桶は牛や馬山羊の馬草いれとも確かに当時はベッド代わりにしていたと噂している人もいる当時の飼い葉桶は粗末なものと聞いたことがあります
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