夕日さすまに いそしめよ(旧「今日までそして明日から」)

人生、宗教、世相、趣味などを思いつくままに記す

永遠の命に至る食べ物

2012-07-31 18:25:49 | 日曜日のメッセージ
 ヨハネによる福音書6章22~27節。ヨハネ福音書6章は五千人のパンの奇跡のあと、命のパンに関するイエスの講話が長く続く。本日の個所の27節によると、イエスという命のパンの特色は、「いつまでもなくならない、永遠の命に至る食べ物」だということである。しかも、そのあとの「父である神が、人の子を認証されたからである」という言葉から分かるように、神様の折り紙付きで、間違いがないというのである。イエスこそ神に認められた正真正銘の命のパンだと言っているのである。 . . . 本文を読む

暴風エウラキロンに襲われる

2012-07-31 18:21:45 | 日曜日のメッセージ
 使徒言行録27章33~44節。著者はパウロが船でローマに護送される過程を詳しく伝えている。その時はもう航海の危ない季節になっていたようだ。パウロが乗った船は初めから、向かい風に悩まされて思うように進まないのである。途中の港で、パウロは危ないから先を急がない方がいいと忠告するが、引率の百人隊長がこれを無視したのが間違いのもとだった。そこを出るとまもなく、激しい暴風に襲われて、乗組員はパニックに襲われる。何日間も暴風が吹きすさび、海は荒れ狂い、「助かる望みは全く消えうせようとしていた」(20節)と書かれている。人々は絶望のあまり、食事も喉を通らない有様だった。船の転覆は時間の問題であり、乗員乗客は海の藻屑と消える運命にあった。しかし、この完全な絶望状態から乗員乗客は不思議にも助けられたということを使徒言行録27章は伝えるのである。 . . . 本文を読む

死から命へと移っている

2012-07-14 18:16:11 | 日曜日のメッセージ
 ヨハネによる福音書5章19~36節。将来の復活の時を信じることは大切である。しかし、いつ来るとも分からないそれを思い描いても、まだ分からないことばっかりである。考えすぎて空想的になっても益がない。それよりも、今この時、死から命に移って生きる喜びを体験することが必要なのである。ヨハネ福音書はそのことをむしろ推奨している。我々は主イエスの声を聞き、主イエスというお方を神と等しい方と信じて救われた。そのことで一体何が起っただろうか。安心して神様に祈れるようになった。礼拝に集うことが喜びとなった。何か人のためになることをしたいと思うようになった。明日に対して、不安以上に神の導きを信じて安んじられるようになった。いろいろあると思う。その一つ一つが、永遠の命に生きる者とされたということのしるしなのである。 . . . 本文を読む

ドルカス、生き返る―キリスト教葬儀の原型

2012-07-08 16:09:18 | 日曜日のメッセージ
 使徒言行録9章36~43節。ドルカスは教会を愛の業でもって明るくするすばらしい女性信徒だった。ところが、突然病気で死んでしまうのだ。なんというあっけないことだろうか。教会にとってこれは大変な痛手だったと思う。まさに途方に暮れる体験であった。人々が嘆き悲しむ様子が痛いほど伝わってくる。世話になっていたやもめたちは、「泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた」と言われている。ドルカスの生前の働きを偲び、涙ながらにその死を惜しんでいるのだ。この場面は、ある意味で教会の前夜式か葬儀の場面と言えないだろうか。 . . . 本文を読む