夕日さすまに いそしめよ(旧「今日までそして明日から」)

人生、宗教、世相、趣味などを思いつくままに記す

ただ、お言葉をください

2011-05-29 21:31:53 | 日曜日のメッセージ
 ルカによる福音書7章1~10節。ここに見られるのは、百人隊長の謙虚さとイエスに対する全幅の信頼である。彼は自分の過去の功績にはまったく言及していない。ただひたすら信じるのである。イエスならば自分の僕をいやすことがおできになる。一言お言葉をいただければ、それで十分だ。自分が部下に告げる命令でさえ、いつもその通りになるのだから、イエスの言葉はなおさら大きな効果をもたらすだろう。そして、この言葉を聞いたとき、イエスは「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」と賞賛し、百人隊長の願いを聞かれたと言われているのである。 . . . 本文を読む

互いに愛し合いなさい

2011-05-23 21:57:32 | 日曜日のメッセージ
 ヨハネによる福音書15章12~17節。ここでよく考えなくてはいけないのは、愛が命令として述べられているということである。本日の個所では、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」という言葉と、「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である」という言葉が全体の枠をなしている。でも、愛とは命じられてなすものであろうか。私たちがふつうに愛だと思っているものは、人から命令されなくても自然に沸き上がってくるものである。私たちは自分が好ましいと思う人を好み、相性が良いと思う人を愛しているのである。そして、そういう心地よい交わりを愛だと思っているのである。  しかし、主イエスはそういう愛を考えているのであろうか。 . . . 本文を読む

身体のよみがえり

2011-05-14 16:38:18 | 日曜日のメッセージ
 ヨハネによる福音書6章34~40節。この箇所で主イエスはたいへん重要なことを語っておられる。それは驚くべき約束である。イエスという命のパンを食べる人は、地上の限りある人生が終わっても、なおも命の希望をもつことができるというのだ。そして、終わりの日に復活させられるというのだ。なぜなら、地上の肉の糧は死の力を打ち負かすことまではできないが、イエスという命の糧は、それを食べる人の中で永遠の命の源となり、肉体の死というしばしの中断を乗り越えて、その人を終わりの日に復活させるからである。そして、このことこそ父なる神がもっとも望んでおられることだとイエスは語っている。 . . . 本文を読む

チャリティーコンサート

2011-05-11 15:16:30 | 折にふれて
 4月29日(金)18:30から、教会でチャリティーコンサートが行われた。「ふるさと」を初めとする日本の歌曲が半分近くを占め、この国と被災者に思いを寄せる心温まるコンサートになった。チケット売上、当日の献金はすべて日本赤十字社を通して被災地のために献げられた。コンサート冒頭には牧師による「とりなしの祈り」が献げられた(「沈黙」の部分は各自がそれぞれの思いや祈りをささげた)。 . . . 本文を読む

「まさしくわたしだ」

2011-05-08 20:41:41 | 日曜日のメッセージ
 ルカによる福音書24章36~43節。復活のイエスは最後にエルサレムの隠れ家にいる11人の弟子たちに姿を現す。ここでルカは復活のイエスが単なる霊ではなくて、正真正銘の体をもっていたということを明らかにしようとしている。復活の主は我々の心の持ち方の中に解消できない客観的実在であり、いつも我々の外側にあって、向こうから我々に近づき、我々の信仰を支えていてくれるお方なのだということをこの箇所は述べている。 . . . 本文を読む